大目に見るということ

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この本にこういうことが書かれていました。

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私たちは、何かにとても追われていることに気づきました。

2歳児ですら、来年入所する保育園で過ごす間、

ずっと座っていられるように練習しています。

また、保育園にいる子どもは、幼稚園での成功に向けて準備をしています。

小学生は、毎日のように、中学生になったときに味わう

本当のプレッシャーについて聞かされています。

もちろん高校では、よい大学に入るために能力を身につけて、

成績を身につけて、成績を上げなければなりません。

(中略)

あなたの成績が非の打ち所がないもので、

次のステージへの準備ができていなければ、

成功は望めないというのが一般的な通説となっています。

また、学校における時間は、やらなければならないことが、

ほとんど無限にあるといった状態です。

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私も、ずっと、現代人は、何者かに追われて生きている、

行き急いでいるし、生き急いでいると思ってきました。

子どもたちも、まさにその通り。

小学1年生から、習い事や、公文や塾やと、

週に何日も、宿題のほかにいろいろやっているようです。

 

そんな時代の子どもは、「おりこう」でなければいけないといえます。

 

この本に引用されているジェニファー・フィング(社会評論家)は、

自分の息子の様子や行動(子どもらしさ)と

世間一般の常識やしくみとのギャップについて述べ、

最後に、こう言っています。

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今日では、8歳の子どもにノコギリを手渡したり、火を扱わせたりすると、

周囲から怪訝な目で見られてしまいます。

150年前であれば、息子は模範的な少年と思われていたことでしょう。

でも、今日の状況では、彼は問題児とみなされてしまうのです。

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私が通う小学校の放課後子ども教室には、

特別支援学級の子が何人かやってきます。 

常時来るのが、2年生の女の子と6年生の男の子。

週1回、5年生の女の子がやってきて、

ごくまれに、1年生、4年生、6年生の男女がやってきます。

 

その子たち、みんな、支援の度合いも性格も違っています。

一方、みんなに共通しているのは、かわいいということです。

女の子たちは、本当にかわいいし、

5年生の女の子は、心持ちが本当にやさしいのです。

男の子も、ある意味かわいい。

みんな純真で、何者にも追われていないからだと思えます。

いまを大事に生きている感じがします。

 

それ以外の子たちも、無邪気でかわいいのですが、

未来に起こることのために、終われている感じがしてなりません。

だから、放課後子ども教室にいるときは、

のびのび、いきいきできるようにと思ってやっています。

幸いにも、スタッフの人みんなも、そう思っていると感じています。

 

放課後子ども教室には、学校側との取り決めのルールがあります。

それは外せませんが、それ以外のことは、とっても緩くしています。

特に、特支の子たちは、何事も大目に見ています。

他のやんちゃな子たちも、かなり大目に見ています。

 

特支の子どもたちだけでなく、子どもたちはみんな、

本当に自分に忠実に生きていて、無意識に忠実に生きていて、

それが本来の人間のあり方だと思えるのです。

だから、大目に見るとは、本来、人を見る見方ではないかと思えます。

 

大目とは、辞書で見ると、こうなっています。

「細部にこだわらずおおざっぱに見ること。寛大に扱うこと。」

 

私は、大目に見るというのは、多めに見るのではなく、

大きな目で見てあげることだと思っています。

即ち、大目で見ること。

大人が、なにかに追われて余裕がなくなると、

大きな目は持てなくなります。

逆を言えば、素直な気持ちで、子どもたちに関わると、

子どもたちから、大きな目をプレゼントされる、

即ち、いまここにいることができるようになる、

私はそう感じています。