
『スマホ時代の哲学』(谷川嘉治著 ディスカヴァー携書)より
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現代人が、どんな悩みや問題にも「自分の内面」の掘り下げを通じて
対処しようとしているということは、すなわち、
自己啓発的なサービスや物語、商材の需要も相当あるということです。
(中略)
自分の力で成果を生み出し、状況を切り抜け、成功しようとしている点で、
こうした発想は、自己責任を重んじ、
「強い自己」を前提とした生き方を推奨しています。
というより、フレクシブルに状況変化に適応していくことが、
一人ひとりに要求され、何事も自己責任化している時代にあって、
「強く願えば自分/世界は変わる」「自分が変われば世界も変わる」
というメンタリティをもたなければ心理的にやってられないのです。
ただ、こういう論理がだれにとって都合のいいものかは、
改めて考えてみる必要があります。
「自己啓発の論理」を真に受けるなら、ちょっとセミナーで受けさせて、
社員が「見方」や「捉え方」さえ変えれば、
組織や集団は何とかなるという話になりかねません。
(中略)
自己啓発には、「自分の力だけが自分を変え、
自分の力によってなりたい自分になることができる」
という信念が前提として隠れています。
スティーブ・ジョブズの言葉が多くの人の心を打ったように、
こうした発想は「福音」のようにも感じられます。
しかし、これは個々人の状態を自己責任化する呪いでもあります。
状況が好転しないのは、あなたが変わっていないのが悪い、
あるいは、強い思い・意志・言葉をもっていないのが悪い、
という含みが含まれるからです。
たとえ、問題の原因が各人の外側にあったとしても、
ハイテンションに状況に立ち向かう「理由」を自己啓発は与えてしまうのです。
そして、なにより重要なのは、こうした福音=呪いとしての自己啓発の論理は、
自分自身への関心の過集中をもたらす割に、
自分を単純化して捉えているいるということです。
いつも変化を要求され、絶えず自分を組み替えながら、何であれ、
目の前の仕事が自分のやりたいことであるかのようにテンションを上げて、
不安点な状況を乗り切っていくという境遇を課されているのが
現代の私たちなのです。
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すごくわかる気がします。
何とも、生きづらい世の中になったものです。
自己を高めることに関する言葉が、そこら中に溢れています。
その状況にある私たちはどうなるかというと、
しんどすぎてメンタルにくるのです。
心が不安定になり、 うつ的になったりします。
たくさんの人と一緒にいるのに、自分は一人ぼっちでどうしようもないやつ、
何をやっても事態は悪くなるばかり、誰も認めてくれない、
そういう精神状態になります。
以下、引用というより、ポイントを書き出したので、
つながりにくいところがあるかもしれません。
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自己啓発の論理に訴えて、
自己啓発を通じて物事の受け止め方をポジティブに変えることは、
仕事や活動に向かうために、しんどさや不安をなかったことにする方法。
自分自身への関心を肥大化させ、ますます自己完結的な生き方をする。
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これって、そのうち破綻するように思えます。
こちらはどうでしょう。
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断片的な感覚や刺激で自分をとりまき、その細切れの経験に集中することで、
「快楽的なダルさ」に浸る、
すなわち、自分の注意をばらばらに分散させるということをしている。
スマホなどのデジタル・デバイスが可能にするマルチタスキングは、
私たちの注意を分散させ、
それに応じて感覚をばらばらに分散するところがあり、
それによるボーッとした感じに一種の癒しがある。
スマートフォンと無料の娯楽、写真と短い言葉のやりとり、
ジャンクな飲み物や食べ物、ちょっとした情報のインプット、対面の会話など、
本来ならば同時に処理することが難しいことを並行的に処理しながら、
私たちは暮らしている。
こうして感覚を断片化して、自分の注意をほどいていくことに、
不思議と落ち着きを感じている。
「快楽的ダルさ」に浸り、
「やわらかな昏睡状態」になることで得られる安楽によって、
気分が落ち込まないようにする。
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現代の多くの人が陥ってしまっているのが、こんな状態ではないかと思えます。
これって、抜け出すのが難しそうです。
つづく