『いのちの場所』(内山節著 岩波書店)より
上野村は、私がはじめて行った頃は、「群馬のチベット」といわれていた。
バスの便はあったが、出発点になる高崎線の新町駅から2時間以上かかった。
私は、東京から車で出かけていたけれど、
途中で渋滞になると10時間以上かかることもあった。
車にはつねにスコップが積まれていて、山から崩れてきた土砂をどけて、
その場所を越えるというようなこともしょっちゅうだった。
ある時期からは「群馬のチベット」という表現は使われなくなったが、
その理由は、チベットの人たちに失礼だと気づいたからである。
こんな地理的なこともあって、上野村は戦後の近代化から取り残されていた。
ただし、それだけが、この村に共同体的雰囲気を保存させたわけではなかった。
戦後の上野村については、黒澤丈夫村長抜きには語れない。
私がはじめてこの村に出かけた頃は、黒澤村長が2期目に入ったころだったが、
彼は91歳になるまで、40年間村長を務めている。
いまでも、上野村は、黒澤村長がひいたレール上にある。
黒澤村長は高度成長期の日本を、日本が崩壊していく過程として見ていた。
その理由のなかには、山村の過疎化などもあったが、
経済中心の社会が「まともな社会」を崩壊させていくと感じていたのである。
だから、村長は繰り返し、村人に訴えていた。
「現在の日本の動きに惑わされるな」
「この自然を守っていけば、必ず日本のトップランナーになる日が来る」
「上野村の人間は昔から上野村一家として暮らしてきた。
この共同体を守り抜こう」
都市の動きに影響を受けなかった物理的な不便さとこのような村の路線とが、
上野村に共同体的な雰囲気を残せたといってもよかった。
共同体は近代的な意味での社会ではない。
「社会」は明治以降の翻訳語で、
それは生きる人間たちによってつくられている世界である。
近代になるとそれは社会契約によってつくられていると
とらえられるようにもなっていくが、生者の世界が社会でもある。
ところが共同体はそうではない。
それは自然と生者と死者によってつくられている世界である。
ただし、共同体という言葉もまた、明治の翻訳語である。
英語のコミュニティ、ドイツ語のゲマインデ、
フランス語のコミュノテを訳すために作られた言葉と思えばいいが、
それまでの日本では、村とか町とかいわれていたものが、
今日の共同体と呼ばれているものである。

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。