『街場の教育論』(内田樹著 ミシマ社)より
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私が教師として現場にいた過去30年間に限って言えば、
文科省の行政指導の中に
「教師に自信を与え、勇気づけ、自尊感情をもたらす」
ことを目的として立案された政策は一つもありませんでした。
もしかすると、立案した官僚の頭の中では、
「これで教師のパフォーマンスが向上する」
という見通しがあったかもしれませんが、
その思いは残念ながら現場には伝わりませんでした。
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君子に必要な基本的な学術 講師の「六芸」
1.「礼」 祖霊を祀る儀礼
- 死者とのコミュニケーション
2.「楽」 音楽
- 豊かな時間意識をもっていない人間には音楽は鑑賞できない。
- 音楽は「もう消えてしまった音」がまだ聞こえて、「まだ聞こえない音」がもう聞こえているという、過去と未来への拡がりの中に身を置かないと経験できない。
3.「射」 弓術
4.「御」 馬術
- これは武術 両方とも敵がいない。
- 「敵と戦って倒す」ことは武術の目的ではない。
- 武術の原則は「敵をつくらない」こと。
- 射は自分自身との、御は馬とのコミュニケーション能力開発のこと
5.「書」
6.「数」
- 読み書きそろばんで、生身の人間相手のやりとりの技術。
現代の教育では、上位の4つがカリキュラムにはなく、下位の2つのみ。
上位の4つは、達成目標や成果が数値化できない。
教養教育とは、コミュニケーションの訓練である。
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専門教育 = 内輪のパーティ
専門領域 = 符丁で話が通じる世界
でも専門家とは、他の専門家と共同作業しないと何の役にも立たない者。
専門家の手柄は、自分の専門のことしかできないけれど、その代わり、
他の専門家と「合体」すると爆発的なパフォーマンスを発揮するということ。
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教師というのは生徒を見つめてはいけない。
生徒を操作しようとしてはいけない。
そうではなくて、教師自身が「学ぶ」とはどういうことかを身をもって示す。
それしかないと私は思います。
教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけです。
「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけです。
そして、そのためには教師自身が、
「外部の知」に対する烈しい欲望に現に灼かれていることが必要である。
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以上メモ書きの羅列ですが、
親雄場合のブログの陰陽部分でも
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「おりこうさんの脳を育てる」とは、
「本人が勝手に勉強しだす」ような脳をつくること。
そのためには、経験を積ませること。
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というのがあり、ここでも、
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教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけです。
「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけです。
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と、同じことが書かれています。
そして行き着くところは、教師自身の学ぶ姿勢なのです。
自分をさておかないことです。
親が学ぶと子も学ぶ、そういうことだし、
会社組織でも、同じだと思えます。