続いては、『なぜ日本の若者は自立できないのか』(岡田尊司著 小学館)
から学んでいきます。
この本の確信のような部分を書き出してみます。
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ヨーロッパ教育で重視されているのが、主体性と責任感。
「教師が主導し、それに服従する生徒がよい生徒である」
という意識の強い日本では、生徒の主体性として口先では称揚しつつも、
態度や深層心理ではうっとうしがられるところがある。
原因の一つは、一斉授業。
周りと違うことをするだけで、この一斉授業は成り立たなくなる。
主体性は、自分で考えて行動すること、必然的に人と違うことをする。
オランダなどでは、小学校の段階から、自分で時間割をつくり、
主体的に学ぶ学校も数多くある。
中学校以降は、科目だけでなく、コースを選択する仕組みが取り入れられている。
実際、一律で画一的な授業は、しばしば、
牛乳アレルギーの子どもにも牛乳を飲ませるようなところがあった。
空を飛ぶ鳥に走る練習ばかりさせても、「労多くして益少なし」なのであり、
その子の持つ特性を最大限に伸ばす機会をどの子にも与えることこそが、
本当の機会均等、真の平等だと言えるだろう。
みんなと同じことをすることが善であるという強迫観念から自由になり、
子ども一人ひとりの特性が生かされる教育につくり替えていくことが、
今や待ったなしに求められるのである。
口先で、「子ども一人ひとりを大事にする」
ということで済ませるのは、もうやめよう。
必要なのは、その中身において、どの子どもも、
その特性が生かされるように仕組み自体を変え、
それを実践していくことなのである。
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これまで学んできた、
『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』(金間大介著 東洋経済新聞社)
に書かれている「いい子症候群」の若者に一番欠けているのが、
この「主体性」と「責任感」です。
一斉授業の中で、違った個をもつ子どもたちが、
落ちこぼれないように、目立っていじめにあわないように、
必死に頑張ってきた結果あとすれば、とっても悲しいことです。
私が日々接している小学生たち、誰一人として同じ子はいません。
当たり前ですが、体つきも、性格も、好きも、能力も、得手不得手も、
みんな違っています。
放課後子ども教室は、それぞれが興味のある遊びをやっているので、
宿題を終えた後は、みんな元気に「素」で楽しむことができています。
そもそも、この場所になじめない子は、来ません。
来る来ないを選択することができます。
しかし、学校となるとそうはいきません。
1クラス30人だとすれば、みんながきちんと4-6時間の授業を受けるというのは、
本当に大変なことだと思います。
文科省も、教育庁も、学校もそれはよくわかっているので、
対策は講じています。
私が通っている学校にも、支援員の方がいます。
その方々が何をしているのかというと、調べてみるとこんなことなんです。
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児童皆が、クラスの中で不自由なく生活できるわけではありません。
しかしながらその中には、誰かの助けさえあれば、
クラスメイトと一緒に生活できる子たちがいます。
そういった子たちのサポートをするのが、学校生活支援員の仕事です。
その支援の対象は、個人である場合と、クラスである場合に分かれます。
個人の場合、例えば、
具体的にはまず「持病のある子のサポート」が考えられます。
外からの刺激に弱い子の場合、危険なことがないように見守ったり、
精神的に不安定な子についてサポートしたりします。
それ以外に、「教室にいられない子」のサポートも行います。
じっとしておれず教室から飛び出してしまう子、
教室からは出ないものの席から立ち上がり、
他の友達の勉強を妨害してしまう子などが対象です。
前者のタイプの子に対しては、
興味のベクトルが教室内に向くようにもっていきます。
後者の子の場合は、支援員が話し相手となり、
その子が納得いくまで耳を傾けます。
また、勉強が苦手な子のサポートも行います。
中には読み書きが上手くできなかったり、算数の概念が欠落している子がいます。
こういった子たちに対しては、とにかく辛抱強く向き合います。
他の子と比較するのではなく、その子なりにできたこと、
わかったことを認め、勉強に対する苦手意識を払拭することが仕事です。
個人のサポート以外に、クラスのサポートも行います。
荒れ気味なクラスのサポート、低学年学級の補助、
支援学級の補助などが主な仕事です。
この場合、担任の先生のサポートが主な仕事になるので、
担任の先生とよくコミュニケーションをとり、分担を決めることが重要です。
低学年の場合、担任の先生以外の大人が教室に入り、
クラスを乱すキーパーソンとなる子どもの横にイスを置いて座ったり、
高学年なら後ろに立つだけでもクラスの雰囲気は変わります。
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これはこれですごいことなんですが、なんだか、応急処置にしか見えません。
一斉授業を維持するための苦肉の策ともいえるでしょう。
逆に言うと、支援員なしには、
担任の先生だけでは、授業が成り立たないということでもあります。
なぜそうなってしまうのか、
そこをしっかり考えて対策を打たないとダメなんです。
日本の政策は、教育にお金をかけず、何事も小出しで、
ほころんだところを繕うことしかしてきていないように見えます。
唯一、大胆なことをしたのが「ゆとり教育」であったわけですが、
それは、短絡的思考で「頓挫」してしまいました。
ゆとり教育が行われたころから、根本的な教育改革、
学校制度改革は、待ったなしだったはずなのですが、....。