まずは寄り道します。
フィンランドやオランダには塾がないと言われています。
塾のいらない教育システムであるからとも言えます。
それは受験戦争がないのと、いい学校に入っていい就職をするという、
横並びの幻想的な目標がないからです。
逆の日本では、受験に向けた巨大な教育産業が出来上がっています。
世界の教育市場の規模は、調べてもよくわからないのですが、
日本についてはこのようなデータがありました、
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2022年度の教育産業全体の市場規模(主要15分野計)は、
前年度比0.3%減の2兆8,499億7,000万円
本調査(矢野経済研究所)における教育産業市場とは、
①学習塾・予備校、②家庭教師派遣、
通信教育(③幼児向け・④学生向け・⑤社会人向け)、
⑥幼児向け英会話教材、⑦資格取得学校、⑧資格・検定試験、
⑨語学スクール・教室、⑩幼児受験教育、⑪知育主体型教育、
⑫幼児体育指導、⑬企業向け研修サービス、
⑭eラーニング、⑮学習参考書・問題集の主要15分野をさす。
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ちなみに、家電量販店の売上高は、4.6兆円(2023年)です。
一方、かつて私がお仕事していた複写機・複合機・プリンター市場は、
機器や印刷用紙・インクなどの消耗品を含む国内支出額が、
21年に1.4兆円で、徐々に減ってきています。
このことからしても、教育産業の規模の大きさは、パンパじゃありません。
日本の受験・教育システムを大きく変えると、
この教育産業に与えるネガティブな影響は計り知れないでしょう。
受験の仕組みを変えないと、
本当の意味での教育改革はできないと思えますが、
大学受験・高校受験のみならず、中学受験は東京では当たり前、
加えてお受験などなど、ハードルは上がるばかりです。
少子化の進行を待つしかないのでしょうか?
しかし、一方、学校が居場所でないという現実もあり、
一概に、塾自体が悪いともいえない事情もあるのです。
塾が居場所になっているケースもあるからです。
かつてこんなことを書いています。
個性を活かす教育の場所 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
寄り道から戻って、ここから「ゆとり教育」について学びたいと思います。
フィンランドの教育は素晴らしいのは間違いないですが、
日本の教育だって、向かっている方向は悪くないぞと思うところがあります。
それは「ゆとり教育」というものに、学ぶところが大きいと思います。
『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(寺脇研著 扶桑社)
を読んでみました。
この寺脇研という名前、どこかで聞いたことがあると思いました。
「カタリバ」の学長だったのです。
誰にも頼れず、ひとりで困難に向き合う子どもたちがいます (katariba.or.jp)
私がまだ会社で仕事をしていたころ、高円寺コモンズに数回行って、
カタリバの会に参加したことがあります。
どういうきっかけで「カタリバ」に興味を持ったのか
今となってはよくわからないのですが、たぶん10年も前から、
教育について興味を持っていたことは確かなようです。
そのときに、いつもそこにいるオッサンがいました。
その人の名前が寺脇さんだったのでした。
その寺脇さんは、文部官僚で「ゆとり教育」の推進役だったのです。
それを今知りました。
以下引用です。
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私は「ゆとり教育」という言葉が嫌いです。
このネーミング自体、マスコミが作り上げたもので、
行政が正式に名付けたものではありません。
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校内暴力で学校が荒れ始めたのは、80年代のことです。
子どもたちにも、戦後教育の歪みが現れていました。
詰め込み教育は、食欲がない子にも、
構わずどんどん食べさせるようなものです。
食欲を考えずにいくらたくさん食べさせたってしょうがない。
食べる楽しさを教えるとか味をちょっと変えてみるとかして食欲を刺激する
ー 臨教審の答申は、学ぶ意欲を重視し、そのためには画一的な教育から、
できるだけ、ひとりひとりに合わせた個別の教育へ、
また、個々の教科教育による学習だけでなく、
総合的な学びの導入を提言したのです。
(中略)
2002年、学習内容、授業時間数を大幅に見直したうえで、
「画一から個別へ」と変わる現在の教育が本格的に始まりました。
※現在=本の出版は2007年
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「ゆとり教育」とは何かを学ぶために、この本を借りてみたのですが、
著者の教育に関する想いや、ユニークな教育者との対談などがほとんどで、
そもそも「ゆとり教育」とは何か、何を目指していたのかは、
よくわからなかったのでした。