【感じる時間】思考のために読む本の嗜好の続きです。
『格差の”格”ってなんですか?』(勅使河原真衣著 朝日新聞出版)より
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「よりよい社会」と言うならば、
促進すべきは「自立」した”すごい人”に育て上げることではないはずだ。
あれはできても、これはできないといった、
ごく自然な自己を出し合える場を増やし、
そのうえで「助け合おうよ」となっていくことのほうではないだろうか。
未熟上等なのだ。
「早くから楽をさせたらろくな....」などともよく聞くが、いやいや....と思う。
何かを人並みにできないことは、本人が楽をした結果であるまい。
凹凸のある人間同士がどうにか組み合わさって活動し、予定調和ではなく、
まだ見ぬ世界を互いに見ること、それが生きることだと私は信じている。
そういう姿を組織開発の現場で何度も目にしてきた。
ありもしない「自立」に心を砕く前に、
人と人との組み合わせの妙を探求することこそ、
当たり前であってほしいと願っている。
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これは「自立」と「依存」の関係のあるべき姿を語っていると思います。
ただ、前回も書いたように、この文脈では響いてきません。
自立と依存については、何度か書いてきました。
それをまとめているのがこのブログです。
【味わいことばノート】 87 & 88 自立 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
著者の言う凸凹の組み合わせは、この中にあるこれだと思います。
「自分ではできないときに、他人に援助を求める能力」
すなわち、自分の得意を活かし、
得意でないことは、得意な人にやってもらうということでもあります。
その意味でも、子どもの頃に、苦手を克服することに注力するより、
得意を伸ばす、思う存分やるというのが、間違いなくいいはずなんです。
ということは、学校という存在は、
その時間を奪ってしまうものともいえます。
ただ、たっぷりある放課後を、友だちとのかかわりあいと、
得意を伸ばす時間にあててほしいものです。
習い事というのは、得意を伸ばす時間とは言えないのではないでしょうか。
もう一つ、
『いつもの言葉を哲学する』(吉田徹也著 朝日新書)から引用します。
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『ひとり立ちする」ことが、「社会に出る」ことなのだろうか。
いや、文字通りの意味で、自立している大人など誰もいない。
その仕事や生活が、どれほど多様な人々に依存していることか。
脳性まひの当事者である医師の熊谷晋一郎さんは、あるインタビューのなかで、
「自立」の反対語が「依存」だというのは勘違いだと指摘している。
たとえば、熊谷さんが挙げているのは、
東日本大震災のとき、職場のエレベーターが止まり、
自身が5階の研究室から逃げられなかったエピソードだ。
健常者であれば、エレベーター以外にも
階段やはしごという別の依存先もあるから、下に降りられる。
しかし、身体の自由が利かない熊谷さんには、
そのときエレベーターしか依存先がなかった。
熊谷さんによれば、「依存先が限られてしまっている」ということこそ、
障害の本質に他ならない。
逆に言うなら、「実は、膨大なものに依存しているのに
「私は何も依存していない」と感じられる状態こそが、
”自立”といわれる状態だ」ということである。
健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者は、
いろいろなものに頼らないと生きていけない人たちだと勘違いされている。
けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、
障害者は限られたものにしか依存できていない。
依存先を増やして、一つ一つへの依存度を浅くすると、
何にも依存していないかのように錯覚できます。
「健常者である」ということは、まさにそういうことなのです。
(中略)
「社会は厳しい」のではなく、社会は特定の人に厳しい。
敢えて「社会人」という、
あるものを別のものと区別する言葉を用いるのであれば、
社会の偏った厳しさを和らげようと努め、
相互依存の目から零れ落ちる人に手を伸ばすものを「社会人」と、
私は呼びたい。
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具体的かつ体験に基づいて書かれているので、
すごく響いてきて、自分の中で思考が働きます。
何にも依存していないかのように錯覚できる「健常者である」というのは、
確かにそうですね。
でも、あくまでもそれは錯覚です。
錯覚を信じて生きている限りは、「自立」して生きているとは言えませんね。
多くの人に「依存」していることに気づき、
感謝できることが「自立」していると言えるでしょう。
依存に気づくというのは、
自分を大切にして内面が充実しているからこそできることでしょう。
だから、人のために何かをしようという気持ちになるのです。
「自分が一番大事、すべてはそこから生まれる」
というのは、私の根底にある想いです。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。