Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(52) おおらかだった学校教育

夏休みに入って、3週間が過ぎました。

9-17時半勤務の夏休みの放課後子ども教室は、

24稼働日中、15日が過ぎたことになります。

しばしのお盆休みののち、16日から後半のお仕事に入ります。

連日多くの子どもたちが参加しています。

ほぼ毎日来る子、時々来る子、夏休みになって初めて来る子などいろいろで、

1学期の放課後子ども教室とは、

参加メンバーに違いが見られるのも夏休みの特徴です。

兄弟姉妹の参加も多くあります。

 

今年から、学童クラブとの連携もやり始めて、これまでは、過去の経緯上、

放課後子ども教室の独占だった体育館も、

午前午後、時間割を決めて、交互に使用しています。

人数の関係で、体育館では、一緒に遊ぶ余裕はありません。

連日の猛暑で、外遊びが危険な状態が日常になっているので、

学童クラブにとっては、一日中建物の中にいなければならず、

それはあまりにも酷だったので、こちらから提案して実現しました。

 

また、木曜日には、初めての合同DVD鑑賞会をやりました。

上映器材は学童にしかないので、こちらから希望者が出向いて、

こちらで用意したDVDを鑑賞しました。

『屋根裏のラジャー』(109分)でした。

教室に残る子どもたちや、早めに帰る子たちがいるので、

私は引率してあいさつをした後、スタッフ一人に後を託して教室に戻り、

もう一人とそのまま通常業務を続けました。

ちょっと長い物語でしたが、楽しんでもらえたようです。

 

しかし、今回DVD購入に当たって、レーベルの説明だけで買い、

自分で観る時間もなかったので、そのまま上映したという実情がありました。

やはり観ていないといけないと思い、先ほど観てみました。

正直、ジブリにしておいた方が無難だったと思いました。

すごくよくできていて、メッセージは伝わってきましたが、

最後の3分の1がとても怖いお話でした。

内容的にも、1-2年生には、難しかったかなと思っています。

次回22日の上映作品は、楽しそうな感じですが、

事前鑑賞してから上映するつもりにしています。

 

放課後子ども教室に来ている子たちは、

そこでの生活を心から楽しんでいるように感じています。

楽しくなければ行かなくていいのだから、

来ているということは、楽しいと感じているからでしょう。

中には、「来たくないけど、親が行けというから」と、

ちょっとカッコつけている子もいますが、

来ている間はまんざらでもなさそうです。

放課後子ども教室は遊ぶ場なので、楽しいはずですが、

この子たちは、学ぶ場である学校は楽しいと思っているのでしょうか?

 

以前に「ゆとり教育」のブログで登場した門脇氏の本を読んでみました。

『子どもの社会力』(門脇厚司著 岩波新書)

ここには、著者の子ども時代の学校の様子が、

著者の体験をもとに書かれています。

私が子ども時代から、ほとんど変わっていない小中学校ですが、

戦後すぐには、こんな学校生活があったようなんです。

 

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1947年(昭和22年)アメリカを中心とする占領軍の指導のもと、

新しい教育制度がスタートした。

その教育哲学は、ジョン・デューイが提唱したとされる経験主義教育だった。

すべからく、まず自分の身体で体験し、自分で考え、

自分で調べることが大事という教育。

教科も、現在のように、

国語・算数・理科・社会と厳密に分けられたものではなく、

それらを横つなぎにしたようなコア・カリキュラムが推奨されていた。

 

生徒が共同で行う学習体験の一例:「河の汚染度調べ」

村の中心部を流れる全長20Kmはある川の上流から下流まで、

ポイントになる数か所から水を採取し、

その汚染度を調べ、汚染度に差があれば、その原因を考え調べ、

その結果を作文し報告書にまとめる。

これを数組のグループで行う。

汚染度調べは理科、その過程で行う計算は算数、汚染の原因調べは社会科、

報告書のまとめは国語。

1つの課題を考えるのに、1か月や2か月はかかる。

そうして得られる知識が体系立っているわけではない。

 

学校の外に出かけ、役場の人に資料をもらったり、

村の長老に昔の様子を聞いたりする。

皆で共同してやる作業は楽しい。

受験に役立つ知識を習得することにはならないが、

村にはいろんな人がいて、いろんな生き方をしていることを、

その人たちに自分で触接会って知るといった経験を通して、

人間に関心を持ち、人の暮らしや社会に関心を向け、

社会力なるものを培っていったことは間違いない。

 

学校での共同体験は、そのような授業だけではなかった。

家庭科の時間は、学校の畑で作物を栽培するのが常であったし、

秋には、早朝、全校生徒が総出で、イナゴを捕り、

それをゆでて売り、グローブやボールやバットを買うといったことや、

やはり全員で山奥に入り、高い木に登って山ぶどうを採り、

ブドウ酒を作って売り、

その金でバスケットやバレーのボールを買うといったことも、

年間行事の中に組み込まれていた。

田植えや稲刈りを、一斉休校し、全員で手伝った。

その他にも、学校林の伐採とか、河川を利用してのプール作りとか、

今はまったくなくなった体験は、まだある。

 

とにかく、かつての学校生活には、豊富な共同体験があった。

そして、そうした共同体験を通して、子どもたちは他者を知り、

他者への共感を募らせ、社会力を積んでいったのである。

あれから40~50年たった今でも、当時の級友の一人ひとりのあれこれを、

つぶさに思い出すことができるのは、社会力がついている証拠と言えよう。

しかし、こうした経験主義的なカリキュラムは、

高度成長期に入った60年代になると

「這いまわる経験主義」という悪罵とともに、学校から放逐されてしまう。

代わって奨励されたのが、

体系立った知識の効率的な習得を重んじた系統主義教育であった。

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これだと、学校はほんとうに楽しい場になりますね。

いま必要とされている学校が、かつては当たり前にあったことに驚きました。

今のような教育になったのは、世の中におおらかさがなくなった所以でしょう。