夏休みに入って、3週間が過ぎました。
9-17時半勤務の夏休みの放課後子ども教室は、
24稼働日中、15日が過ぎたことになります。
しばしのお盆休みののち、16日から後半のお仕事に入ります。
連日多くの子どもたちが参加しています。
ほぼ毎日来る子、時々来る子、夏休みになって初めて来る子などいろいろで、
1学期の放課後子ども教室とは、
参加メンバーに違いが見られるのも夏休みの特徴です。
兄弟姉妹の参加も多くあります。
今年から、学童クラブとの連携もやり始めて、これまでは、過去の経緯上、
放課後子ども教室の独占だった体育館も、
午前午後、時間割を決めて、交互に使用しています。
人数の関係で、体育館では、一緒に遊ぶ余裕はありません。
連日の猛暑で、外遊びが危険な状態が日常になっているので、
学童クラブにとっては、一日中建物の中にいなければならず、
それはあまりにも酷だったので、こちらから提案して実現しました。
また、木曜日には、初めての合同DVD鑑賞会をやりました。
上映器材は学童にしかないので、こちらから希望者が出向いて、
こちらで用意したDVDを鑑賞しました。
『屋根裏のラジャー』(109分)でした。
教室に残る子どもたちや、早めに帰る子たちがいるので、
私は引率してあいさつをした後、スタッフ一人に後を託して教室に戻り、
もう一人とそのまま通常業務を続けました。
ちょっと長い物語でしたが、楽しんでもらえたようです。
しかし、今回DVD購入に当たって、レーベルの説明だけで買い、
自分で観る時間もなかったので、そのまま上映したという実情がありました。
やはり観ていないといけないと思い、先ほど観てみました。
正直、ジブリにしておいた方が無難だったと思いました。
すごくよくできていて、メッセージは伝わってきましたが、
最後の3分の1がとても怖いお話でした。
内容的にも、1-2年生には、難しかったかなと思っています。
次回22日の上映作品は、楽しそうな感じですが、
事前鑑賞してから上映するつもりにしています。
放課後子ども教室に来ている子たちは、
そこでの生活を心から楽しんでいるように感じています。
楽しくなければ行かなくていいのだから、
来ているということは、楽しいと感じているからでしょう。
中には、「来たくないけど、親が行けというから」と、
ちょっとカッコつけている子もいますが、
来ている間はまんざらでもなさそうです。
放課後子ども教室は遊ぶ場なので、楽しいはずですが、
この子たちは、学ぶ場である学校は楽しいと思っているのでしょうか?
以前に「ゆとり教育」のブログで登場した門脇氏の本を読んでみました。
『子どもの社会力』(門脇厚司著 岩波新書)
ここには、著者の子ども時代の学校の様子が、
著者の体験をもとに書かれています。
私が子ども時代から、ほとんど変わっていない小中学校ですが、
戦後すぐには、こんな学校生活があったようなんです。
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1947年(昭和22年)アメリカを中心とする占領軍の指導のもと、
新しい教育制度がスタートした。
その教育哲学は、ジョン・デューイが提唱したとされる経験主義教育だった。
すべからく、まず自分の身体で体験し、自分で考え、
自分で調べることが大事という教育。
教科も、現在のように、
国語・算数・理科・社会と厳密に分けられたものではなく、
それらを横つなぎにしたようなコア・カリキュラムが推奨されていた。
生徒が共同で行う学習体験の一例:「河の汚染度調べ」
村の中心部を流れる全長20Kmはある川の上流から下流まで、
ポイントになる数か所から水を採取し、
その汚染度を調べ、汚染度に差があれば、その原因を考え調べ、
その結果を作文し報告書にまとめる。
これを数組のグループで行う。
汚染度調べは理科、その過程で行う計算は算数、汚染の原因調べは社会科、
報告書のまとめは国語。
1つの課題を考えるのに、1か月や2か月はかかる。
そうして得られる知識が体系立っているわけではない。
学校の外に出かけ、役場の人に資料をもらったり、
村の長老に昔の様子を聞いたりする。
皆で共同してやる作業は楽しい。
受験に役立つ知識を習得することにはならないが、
村にはいろんな人がいて、いろんな生き方をしていることを、
その人たちに自分で触接会って知るといった経験を通して、
人間に関心を持ち、人の暮らしや社会に関心を向け、
社会力なるものを培っていったことは間違いない。
学校での共同体験は、そのような授業だけではなかった。
家庭科の時間は、学校の畑で作物を栽培するのが常であったし、
秋には、早朝、全校生徒が総出で、イナゴを捕り、
それをゆでて売り、グローブやボールやバットを買うといったことや、
やはり全員で山奥に入り、高い木に登って山ぶどうを採り、
ブドウ酒を作って売り、
その金でバスケットやバレーのボールを買うといったことも、
年間行事の中に組み込まれていた。
田植えや稲刈りを、一斉休校し、全員で手伝った。
その他にも、学校林の伐採とか、河川を利用してのプール作りとか、
今はまったくなくなった体験は、まだある。
とにかく、かつての学校生活には、豊富な共同体験があった。
そして、そうした共同体験を通して、子どもたちは他者を知り、
他者への共感を募らせ、社会力を積んでいったのである。
あれから40~50年たった今でも、当時の級友の一人ひとりのあれこれを、
つぶさに思い出すことができるのは、社会力がついている証拠と言えよう。
しかし、こうした経験主義的なカリキュラムは、
高度成長期に入った60年代になると
「這いまわる経験主義」という悪罵とともに、学校から放逐されてしまう。
代わって奨励されたのが、
体系立った知識の効率的な習得を重んじた系統主義教育であった。
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これだと、学校はほんとうに楽しい場になりますね。
いま必要とされている学校が、かつては当たり前にあったことに驚きました。
今のような教育になったのは、世の中におおらかさがなくなった所以でしょう。