正直、この本のタイトルを見たときに、あまり読みたい本だとは思いませんでした。
このタイトルが、嫌なんです。
なんだか、ハウツーもののように思えたのです。
「いじめ・不登校ゼロを掲げて見事達成しました。
こんな風にすればできるんです。」
的な本に思えたのです。
少し前に、いじめをなくするために、
あだ名を禁止にしている学校のニュースに触れて、
違和感を感じていたこともあります。
でも、それでもいいかな、批判的に読めばいいのでは、
と思って、借りてみました。
ところが、この本の中には、「いじめ・不登校ゼロを目指した」なんて、
どこにも書かれていないし、作戦のさの字も出てきません。
この大沼元校長先生の生き様が書かれた本でした。
とってもステキな校長先生でした。
そんな中から、いじめに関する部分で、これだなと思うところを引用します。
この校長先生の日課は、朝校門に立って、登校する子どもたちに
「ハイタッチ」をすることでした。
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うつむいて通り過ぎる子、手の甲を押しつける子、傘で手に触れる子、
思い切り叩いて通り過ぎる子、
「おはようございます」も言わずにタッチもせず通り過ぎる子、
指先だけが触れて行ってしまう子、.....
これは、校長である私が行っている校門での毎朝の光景です。
保護者の方は、ご自分のお子さんが、
先に述べたどのタイプに入ると思われるでしょうか。
校長先生や週番の先生に元気よく「おはようございます」と声をかけ、
手のひらでタッチしていく姿を想像されませんでしたか。
実は少し違うようです。
いろんな子がいます。
私はうつむいて通り過ぎる子にも、「おはようございます」も言わない子にも、
特に注意するわけではありません。
なぜなら、挨拶はするものであって、されるものだと思っていないからです。
挨拶したくなったら、そのうちするものです。
私の経験から、心が解放された子は、
元気よく挨拶してくるとわかっているからです。
だから、じっくりとその時を待つのです。
そして、担任の教師にもそのように話し、
日常生活のなかで、
子どもに自信をつけるような指導を展開するよう指示します。
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これよくわかるなぁって思います。
毎日、放課後子ども教室で多くの子どもたちと接しているとわかります。
本当にみんな違います。
高学年になってくると、ちょっと複雑になってくるので、
素直じゃない子や、わざとふるまう子などもいます。
しかし、低学年生でも、挨拶をする子しない子、
笑顔ををみせる子みせない子、話をする子しない子、
本当に様々です。
さようならを言わない子もたくさんいます。
一年生はお迎えが基本なので、お母さんから促されるケースも多くあります。
私たちは、あいさつをしない子を、無理にさせようとはしません。
ただひたすら、こちらからの声掛けを続けるだけです。
そうやっていると、そのうち、あいさつをするようになったりするものです。
この中で気になるのが、この部分です。
「校長先生や週番の先生に元気よく「おはようございます」と声をかけ、
手のひらでタッチしていく姿を想像されませんでしたか。
実は少し違うようです。」
子ども間のちょっとしたトラブルがあったとき、自分の子は悪くない、
あの子を何とかして、と思っている親がいるのも確かです。
しかし、自分の子のよくない面が気になって、
いいところを見過ごしている親の方が多いのではないかと
私は感じています。
もしそうであれば、子どもの中のどこかに、
満たされない空間ができてしまいます。
そうすると、その空間を埋めようとする内面が、
外に攻撃的に向かうか、内にに向かって蓄積されるか、どちらかになり、
その両方が「いじめる」「いじめられる」
につながっていくのではないかと思います。
外がいじめる、内がいじめられる、そんな単純ではない気がします。
これはあくまでも、私が想像していることで、確からしさはわかりません。
ただ、それをある程度裏付けるようなことが、
この本の中にありました。
そして、本の中でいじめをなくするために何をするかが書かれているのが、
唯一、こんな感じです。
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私が考える、学校での「いじめ」を起こさせない方法を述べます。
- 一人一人のよさを見つけ声をかけること
- 学習が面白いと感じさせる授業を行うこと
- 教師が明朗快活であること
- 毎日さりげなくこともの行動を観察すること
- 保護者と絶えず連絡を取ること
- 変化を見過ごさずにすぐに話を聞くこと
- 教師集団の仲がよいこと
- 学校全体の子どもをわがクラスの子と思える教師集団であること
- 用務主事さんからの情報を大切にすること
- 学校全体で「いじめ」を絶対に許さない風土をつくること
まだまだたくさんあります。
私の経験から、だれかに認められた子どもは「いじめ」をしないものです。
自分のよさに気づいた子どももいじめをしないものです。
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そうなんです。
自分が満たされていると感じられることが、一番大事なのです。
これは大人も同じなんですね。
いじめられる子に、責められることは何もありません。
では、いじめる子は、すべて悪いのでしょうか。
そうとも思えません。
ちなみに、「いじめ」ってどういうものか、私にはよくわかっていません。
これまで、自分の子ども時代、学童保育、今の放課後子ども教室で、
いざこざはありますが、これが「いじめ」と感じられることは、
ほとんど経験していないからでもぁります。
いじめにあっている子は、
そういうところには来ないということなのでしょうか。
文科省によると、こんな定義になっています。
Facebookに<今日のはてな>として、いじめってどんなこと?
ということを書きました。
コメントを入れてくれる人もいて、このリンクをつけて、
こんな言葉を返しました。
大半の国民の不安に寄り添うことなく、
「安心安全」とだけ言い続ける政府を見ていると、
その行動がいじめを助長しているようにも思えます。
私は、いじめは、子どもの問題ではないと思っています。
いじめによって命を落とす子もいます。
こどもたちの様子を見ていると、これは社会の縮図ではないかと思えるます。
大人に、子どもにうそをついてはいけないという資格はあるでしょうか?
上級市民ほど嘘ばっかり、そんなことは私が感じるだけではないでしょう。
子どもは、大人のこと、大人の社会のことを敏感に感じ取っています。
いじめをなくするには、子どもに指導するだけでは限界があります。
大人が、大人の社会が、いじめをなくすることが先決だと思います。
老若男女、すべての人たちが、自分が満たされていると感じ、
それぞれが夢を持って生きていける社会ができれば、
子どものいじめはなくなると信じています。