引き続き『大往生したけりゃ医療とかかわるな』中村仁一著からの引用です。
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私たちは枯れかけている植物に肥料をやるでしょうか。
万一、肥料を与えたとしても吸収しませんから、植物に害はありません。
ところが人間の場合は違います。
体内に " 肥料 " を別ルートから無理やり突っ込むわけです。
いかに死にゆく人間に苦痛と負担を強いているか、想像に難くないでしょう。
年配の葬儀社の人に聞くと、
「昔の年寄りの納棺は、枯れて亡くなっているので楽だった。
しかし、今、病院で亡くなった人の遺体は重くて大変だ」
といいます。
最後の最後まで点滴づけ、水づけですから、いわば " 溺死 " 状態、
重いのは当然といわなければなりません。
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点滴注射や酸素吸入は、
本人が幸せに死ねる過程を妨害する以外の何物でもないと考えていますので、
私は原則として行いません。
「脱水」は意識レベルが低下して、
夢うつつの状態になるので願ってもないこと。
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点滴注射もせず、口から一滴の水も入らなくなった場合、
亡くなるまでの日数がどれくらいかといいますと、
7日~10日くらいまでが多いようです。
排尿は、亡くなるまでの日数が短ければ、
当日までもある場合もありますが、
少なくとも2~3日前まではあるようです。
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著者が、老人ホームでがん末期の年寄りは、60~70名にのります。
麻薬を使うほど痛みを覚えたケースは、一例もないといいます。
健診を受けなければ、がんの早期発見もなく、治療せずにすみます。
がんの痛みは、治療するからであって、自覚症状もなく、
気がついたらがん末期だったというわけです。
著者には、『どうせ死ぬなら「がん」がいい』という共著があります。
これも借りて読むことにしました。
90を越えたら、私もそれでいいと思っています。
がんも老衰の一環としてなる時にはなるわけで、
それで苦しみもなく、最後は、
食べられなくなれば食べず、飲めなくなれば飲まず、
最後は、脱水で「一面の菜の花」の夢うつつに逝くのがいい、
そう思っています。
ピンピンコロリというのが、老衰で死ぬ(がんもそのうち)とすれば、
理想的には、
- 死ぬ二週間前まで元気に過ごしていた
- 疲れるので横になったら、そのまま食事もとれなくなった
- 一週間後には、水もとれなくなった
- 身内の者は、ただひたすら見守ってくれている
- 脱水して、一週間後に夢うつつに逝く
- 身内の者は、そのまま温かく看取ってくれる
ということかなと思うのです。
福岡伸一著『迷走生活の方法』に、
『センス・オブ・ワンダー』のレイチェル・カーソンの言葉があります。
「ほんとうに、生きとし生けるものが、その一生を迎えるとき、
私たちは、その最期を自然の営みとして受け取ります」
こんな風に思っていると、いま、そして、
いまからをしっかり生きることができるなと思います。
まだ長い道のりなので、やれることは精いっぱいやりたいですね。
ひょっとすると、切り絵の「匠」になっているかもね。
そういえば、昨日、90歳のおばあちゃんのちぎり絵のニュースがありました。
90歳のおばあちゃんが作った“新聞ちぎり絵”、反響に驚き「近所の人が見に来てくれる」 | ORICON NEWS