あれやこれや読んでいますが、今回はこの本を読んで、
自分の往生際が見えてきた気がします。
これまで、ピンピンコロリがいいなと思っていましたが、
そうでもなさそうです。
そもそもピンピンコロリって、どんな死に方でしょう。
脳溢血とか心筋梗塞とか、発作的な病気で死ぬことでしょうか?
それだと、本人がOKであれば、それでいいのでしょうが、
残った人たちにとっては、なんともいたたまれないでしょう。
老衰で死ぬのがいいと思いますが、それだとピンピンジワリになりますね。
老衰というのは、ほとんど目にしなくなりました。
今時、ほとんどの人が病院で死ぬという現実があります。
病院で死ぬと、死因に病名が付くのが普通でしょう。
老衰は安らかに死ぬという感じですが、
病院で死ぬと、死はつらいもののように思えます。
そんなことも考えながら、どう死ぬかについて考えてみます。
大事なことがいくつかあります。
- 人は必ずいつかは死ぬ
- 事故死するとか突然死がない限り、「老い」は避けられない
- 「老い」は「病気」ではない
- 医療が発達して、簡単には死ねなくなった
” 苦しみながら生き長らえるより、安らかに「枯れる」ように死にたい "
そう思います。
そのためには、自分の命は、自分以外の人に委ねたくない、
" 自分の往生際は、自分の意志で決めたい "
と思っています。
私は、定年退職後、健康診断を受けなくてよくなって、
のびのび、イキイキ過ごしています。
今の仕事でも健康保険証はいただいていますが、
健康を受けるつもりはありません。
健診を受けない理由は、これまで何度か書いてきました。
たとえば、これです。
定期健康診断を受けない私② 自分のことを知っているのは自分 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
この本にも、健診を受けると、医者の餌食になるとも書かれています。
そのポイントは、次回以降にするとして、まずは、
基本的な考え方のところを引用してみます。
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病院では、最後まで何かと処置をします。
いや、しなければならないところですから、「自然死」はありません。
在宅における死も、ふつうは病院医療を引き継ぎますから、
ほとんどの「自然死」はないといっていいでしょう。
また、医者のほうも、何もしないことには耐えられないでしょう。
しかし、それは穏やかに死ぬのを邪魔する行為なのです。
ですから、ほとんどの医者は、「自然死」を知りません。
だから死ぬのにも医療の手助けが必要などと言い出すのです。
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本来、年寄りは、どこか具合の悪いのが正常なのです。
不具合のほとんどは老化がらみですから、
医者にかかって薬を飲んだところで、すっかりよくなるわけはありません。
昔の年寄りのように、年をとればこんなものと諦めることが必要なのです。
ところが、「年のせい」を認めようとせず、
「老い」を「病」にすり替えます。
なぜなら、「老い」は一方通行で、その先には「死」がありますが、
「病気」なら「回復」が期待できますから。
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現代は、ストレス過剰の時代です。
成人の多くは、心身ともに疲れているでしょう。
生活が健全ではないので、生活習慣病になります。
生活習慣病は病気ではないので、薬を飲んでも治りません。
生活習慣を変えるしかないのですが、そんなに簡単ではないですね。
そんな状況では、健診の数値がいいはずもなく、
それによって、医療とかかわることが日常になってしまうと、
生活習慣病を薬で治そうとするし、
自分の健康を他人に委ねてしまいがちになるでしょう。
年をとると、そんな状況から解放され、
ストレスも少なく、生活習慣もより健康的になるはずです。
そうなれば、何も医療にかかわる必要はないはずなんです。
まっとうに老いるということの第一は、健康体でいるということですね。
そのためには、
食生活に気を配り、楽しく感謝して生活し、適度な運動をする、
さらに持論を言えば、若い世代と交流すること、だと思います。
話は変わって、私の死に場所についてですが、
あるとき、何かのワークショップのときにでてきた、
「一面の菜の花のあるところ」がいいなと思っています。
そこには、小さな女の子が登場します。
その子にお話をした後、記憶がなくなるのです。
これを書きながら思うのは、
それは現実の場所ではないかもしれないなということです。
そんな夢うつつで逝くのかもしれません。