『心を軽くする言葉』(小林正観著 文庫ぎんが堂)より
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人間は、「各種の”良心”に支えられたベッド」の上に、
「”悪しき感情”という石」を載せているらしい。
人格を磨くということは、石を取り除くことかもしれない。
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悪しき感情というのが気になりますね。
ベッドに載る石は大小さまざまなようです。
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- 1Kg 「すねる」「くさる」「ひがむ」
- 2Kg 「不平不満」「愚痴」「泣き言」「悪口」「文句」=五戒
- 3Kg 「イライラ」「立腹」「怒鳴る」「威張る」
- 4Kg 「恨む」「憎む」「呪う」
- 5Kg 「喧嘩」「敵対」「攻撃」
- 6Kg 「殺傷」
それらをどければ、もともと人間は
「明るさ」「やさしさ」「温かさ」「自分への厳しさ」
「素直さ」「奥深さ」「謙虚さ」「感謝の心」
という8種類のスプリングを持った素晴らしいベッドです。
人格を磨くということは、
もともと持っているものを押さえこんでいる石を取り除くだけ。
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これを読んだときに、性悪説という言葉が思い浮かびました。
性善説というのはわかりますというか、
私は性善説しかないと思っているわけですが、
なぜ性悪説というものがあるのか不思議です。
人間は、誰一人の例外なく100%、いつかは死にます。
同じように、人間はみんな例外なく100%、純真無垢に生まれてくる、
私は、そう思っています。
愛情をもって育てられれば、
誰もが8つのスプリングを持って育っていくのです。
小林正観さんのこの言葉がそれを表しています。
しかし、なかなかそうはいきませんね。
長い人類の歴史の中で、人間の性ともいうべき石は大きく重くなり、
小さくてもたくさんの石が生まれてきたからだと思います。
だから、人間だったら、いろんな場面でさまざまな感情が生まれてきます。
それは、さまざまな違う石を抱えた人たちと接しているからです。
私が普段接する人にも、
なんでこんな考え方や行動をするのだろうと思う人がいます。
言い方を変えると、自分が「正しい」と思えることの想定外のことが、
相手のにとっての「正しさ」のように見えるということなのでしょう。
そういう時、なんだか3Kg石が載った状態になっていきそうになりますね。
「正しさ」と「正しさ」のせめぎあいです。
昔は、間違いなくそれなりに重い石を私は抱えていたなと感じています。
しかし、いまは違うなと思えるようになりました。
歳を重ねるということと、人生への価値観が大きく変わったこと、
会社人から社会人への歩みを進めてきたことなどで、
学ぶ姿勢と感謝の気持ちが培われてきたからなのでしょう。
そんな私も、よくモヤモヤ、イライラした感覚になるときがあります。
昔の私だったら3Kgの石を持ったままだったと思えますが、
モヤモヤですんでいるということは、
最近はスプリングが強くなったのかなと自画自賛です。
それでも、モヤモヤ、イライラすることは日常茶飯事です。
そんなとき、最近の私は、俯瞰して見るようにしています。
一体何がモヤモヤ、イライラを起こしているのだろうと問いかけます。
冷静に見て、そのモヤモヤの正体を明らかにしてみると、
何だこんなことかということが見えてくるのです。
そうすると、石が取り除かれていくような感覚になれるのです。
石が載っていてはいけないと思うと、苦しいです。
石が載っていることに気ずくことが大事です。
そして、それはどんな石かを、心を落ち着けて見てみるといいと思います。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮った写真を適当に貼っています。