Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(81) 結果を生まない同じことの繰り返し①

さらに横道に逸れます。

 

「(80)将来のためにいまを失うと」を書いて思うのは、

---------------------------------------

僕たち教員は、

「子どもたちが主体性を取り戻すためのリハビリ」が必要だと考え、

その結果、「生徒に押しつけのサービスをしない」ことを決めた。

----------------------------------------

そんなことを考え行動する公立中学校が、

他にどこにあるのだろうということです。

基本的にやることは、「叱咤激励」か「排除」、

そして「諦め」ではないかと思うのです。

そういう学校にいる気力を失った子たちは、学校に行けなくなります。

 

人をこちらの意図通りに人を変えようとしても、

正論を押し通している限り、言い方を変えると、叱っている限り、

何も変わっていかないのです。

 

うまくいかないのに、相手を正そうとすることを、

何度くり返しても、結果は見えています。

 

それを表すアインシュタインの言葉があります。

【学びの時間】刷り込まれた価値観を考える① 正しさを再度考えてみる - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

 

そして、先日の田坂広志さんの言葉です。

味わいことばノート 139 「人を育てる」とは - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

 

うまくいかなかったら、自分を変えるしかないのです。

自分が育つことによって、人も育ちます。

すなわち、同じことをくり返すのではなく、

自らがやり方を変えるということです。

 

最近、それを実感することが身近で起こっています。

それを書く前に、この本の内容に触れてみます。

 

『<叱る依存>がとまらない』(村中直人著 紀伊国屋書店)より

---------------------------------------------

人はなぜ「叱る」のでしょうか?

それはやはり、誰かに「変わってほしい」と願うから。

我が子に、「勉強する習慣をつけてほしい」

「片付けができるようになってほしい」

部下に、「仕事で成果を出してほしい」「ミスをなくしてほしい」

 

「叱る」という行為を理解する第一歩は、

それが「他者を変えようとする手段」であると認識すること。

「叱る」という行為は、

叱る側が求める「あるべき姿」や「してほしいこと」を表現するための手段。

------------------------------------------


「叱る」とはどういうことでしょうか?

------------------------------------------

  • (目下の者に対して)相手の良くない言動をとがめて、強い態度で責める(大辞林)
  • (目下の者に対して)声をあらだてて欠点をとがめる、咎め戒める(三省堂)

本書における「叱る」の定義は、

言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を

与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、

思うようにコントロールしようとする行為。

---------------------------------------

 

「叱る」という行為は、どうしても攻撃的になりがちです。

どうしてでしょうか?

---------------------------------------

それは叱られる側に起こる「ネガティブ感情の発生」が

「叱る」という行為にとって必須の要素だから。

ここでいう「ネガティブな感情」は、「苦痛」「恐怖」「不安」。

「叱る」を「叱る」たらしめている最大の要素は、

叱る側にあるのではなく、受けて側の感情体験にある。

もし、叱られる側のネガティブ感情を伴わないでよいのであれば、

「説明する」「説得する」などのほかの言葉で言い換えることが可能なので、

「叱る」でなくてもよいはず。

----------------------------------------

「怒ってはダメだが、叱るは必要」とよく言われますが、...。

----------------------------------------

この言説は、叱る側のことしか考えていない。

叱られる側に視点を移すと、怒られようと叱られようが、

強いネガティブ感情が生じる点で、大きな違いはない。

----------------------------------------

 

ここに、人を変える、人をコントロールすることの難しさがあります。

----------------------------------------

<叱る依存>への入り口は、叱られる側にあるのではなく、

叱る側のニーズである。

  • うまくいかない現実に対するイライラ
  • 低すぎる自己評価や他者への劣等感
  • 多忙による慢性的な疲労や極度の体調不良

そんなとき、「叱られる人」が「叱る人」の目にとまる。

-----------------------------------------

だから叱るのです。

これはよくわかります。

一方では、叱らざるを得ない状況というものがあるのも体感しています。

それは、叱る側のニーズでしかないと言われると、

確かにそうかもしれないなと思うわけです。

 

“Insanity: doing the same thing over and over again and expecting different results.”

にならないようにしたいものです。

 

つづく。