【学びの時間・感じる時間】簡単なことができない時代にあって

『分かち合い』の経済学』(神野直彦著 岩波新書)を読みました。

ここにはこんな調査結果について触れられていました。

 

木村忠正東京大学准教授の学生を対象とした対人信頼感の国際比較調査

(2005年)によると、

  1. 「人間は他人を信頼しているか」の問いに、「そう思う」と「ややそう思うというと肯定的に回答した学生は、フィンランドで7割を超えているのに、日本では3割を割っている。
  2. 「この社会では、気をつけていないと誰かに利用されてしまう」という項目に肯定的に回答した学生は、日本では8割にものぼるのに、フィンランドでは2割を超えるにすぎない。
  3. 「ほとんどに人は基本的に善良で親切である」という項目に対しては、フィンランドでは8割を超える学生が肯定的に回答して、日本では、その半分の4割にも満たない。

 

フィンランドとの比較がよいかどうかは置いておくとしても、

日本人はもともと性善説であったはずなのに、

今は、性悪説に犯されててしまったのだろうか、

そう思えるような調査結果です。

 

私の小さい頃の実家も含めて、家にカギをかけない習慣は、

少なくとも田舎には。つい先日まであった、そんな感覚があります。

しかし、いまの日本は、どうでしょう。

  • ネットの進化もあって、ありとあらゆる詐欺行為がまかり通っています。
  • 何事も金儲けなのか、と思える状況がニュースを賑わしています。
  • 格差が広がり、弱者に厳しい世の中になっています。
  • 政界、経済界、宗教界、...、どこも嘘ばっかりです。
  • 町を歩いているときや電車に乗っているときに何が起こるか分かりません。

 

『下り坂ニッポンの幸福論』(内田樹、想田和弘著 青幻舎)に、

詩人山尾三省さんの3つの時間のことが書かれていました。

  • 「直進する時間」:技術革新など進歩していく時間、直線的に前へ進んでいく時間
  • 「循環する時間」:繰り返していく時間、自然の時間

 

この「循環する時間」が危うくなっていると感じます。

毎日、太陽は東から昇り、西に沈みます。

これは相変わらず変わりません。

幸いにも宇宙には、まだ人間の「エゴ」は及んでいないようです。

 

しかし、地球上では、

「季節は巡る」ということが言えなくなりつつある感覚があります。

日本は四季のある美しい国と言われてきました。

しかし、ここ何年か、春と秋がなくなるのではないか、

そんな危惧が大きくなってきています。

冬の寒さを通り過ぎたら、いきなり猛暑日、

そして、10月に入った今週は、真夏日かと思いきや、

一気に12月並みの気温になったりしています。

 

春や秋という、とても文化的、

人間らしい営みのできる季節が失われようとしています。

「直進する時間」は、前へ進んでいくほかなく、戻ってこれません。

それによっていま「循環する時間」が危機的状況になりつつあるのです。

 

「直進する時間」「循環する時間」について、以前にも書いています。

【学びの時間】不機嫌に囲まれる待てなくなった私たち - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

人間は直進する時間の進化に邁進してきました。

それによって、季節感というものがなくなってしまっています。

スーパーに行けば、いつでも何でもあります。

私自身も、それに甘んじ、それが当たり前だと思っているし、

それがなくなると、大変困ってしまうでしょう。

 

『下り坂ニッポンの幸福論』(内田樹、想田和弘著 青幻舎)は、

岡山県の牛窓に住む想田和弘さんと内田樹さんの対談です。

牛窓では、季節を感じることができます。

そこに書かれていた言葉は、

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自然と調和した生き方をすることが、

現代の人間にとって一番大事なことじゃないかと気づかせてくれた。

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このことは、疑いようもない私の実感でもあります。

多くの人が、自然と調和して生きてほしいと思います。

しかし、それは簡単なことではなさそうです。

 

【学びの時間】共に成長する - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

ここに書いたことは子どもだけのことではないと思います。

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子どもをしっかりみて、応答的な態度で接するには、

親自身が不安を抱え込まず、心理的に安定していることが前提となります。

すなわち、親自身が生きているという実感や、

自分の将来に対して希望をもてなければ、

子どもにゆったりした気持ちで向き合い、

子どもをありのまま受け入れることは困難です。

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これは何を意味しているのかというと、

親の「コップの水」が少ないことの表れだと思います。

 

現代人の多くの人の「コップの水」が増えることで、

自然との触れ合いに目が向き、

それを楽しむことができるようになるのではないかと思っています。

だから、一人でも多くの人の水が増えてほしいと思っています。

 

私の想いは想いとして、実際には、

多くの人がそのことに気づき、自分のコップの水を増やしつつある、

私はそう思っています。

 

写真に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮った写真を適当に貼っています。