この本から引用します。
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与えられた時間を精一杯生きる。
そして命のバトンを次の世代に渡して死んでゆく。
それが生物にとって「生きる」ということです。
ただ、それだけのことなのです。
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あなたの身の回りを見てください。
たくさんの虫たちが、たくさんの鳥たちが、
そして、たくさんの微生物たちが、そうやって生きています。
生きるって、ただそれだけのことです。
今を生きる、与えられている今を大切にする。
生き物たちは、「今を生きること」の連続です。
「生きる目的がわからない」とか、
「何のために生きるのか」などという生き物は一つもいません。
そして、「生きるのに疲れた」とか
「死にたい」と思う生き物は一つもいないのです。
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これは、【写真日記】ハネヤスメの日曜日(上)(中)(下)に書いた、
先日の山歩きの出だしの「小峰公園」を歩いたときに撮ったオオバコです。
この本に書かれていたオオバコのことを思い出したからです。
PictureThisで調べると、
セイヨウという文字がついていたのがちょっと気にはなりますが、
このオオバコは、まだ踏まれずに済んでいます。
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踏まれた雑草は立ち上がりません。
踏まれた雑草は、上にも伸びません。
そもそも立ち上がらなければならないのでしょうか。
そもそも上に伸びなければならないのでしょうか。
踏まれて生きる雑草を見ていると、そんなことを教えられます。
上に伸びることしか知らなければ、踏まれたときポキンと折れてしまいます。
踏まれたままでもいいのです。
伸びる方向は自由です。
そして本当は伸びなくたっていいのです。
上に伸びることができなくなった時、横にも伸びることができなくなったとき、
雑草はどんな成長をすると思いますか。
そうです。
雑草は下に伸びます。
根を伸ばすのです。
根を伸ばしても、見た目には成長していないように見えるかもしれません。
しかし、見えないところで根が成長していきます。
根は植物を支え、水や養分を吸収する大切なものです。
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雑草は、苦境に強いというのが、よく言われることですが、
雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がることはないようです。
でも、立ち上がることはしなくても、生きることは諦めません。
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植物にとって、もっとも大切なことは何でしょうか?
それは花を咲かせて種を残すことです。
「踏まれても踏まれても大切なことを見失わない」
これこそが、本当の雑草魂なのです。
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自然にはいろんな試練がありますが、
生き物は、今できることを必死にやっています。
人間もそうだと思います。
自然の産物である人間の体も、必死に生きようとしているのです。
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私が「個性」を強く意識するようになったのは、
東京シューレ葛飾中学校を訪れたときのことです。
この学校は、
さまざまな理由で学校に行けなくなってしまった子どもたちが集まる学校です。
何も知らない私の勝手なイメージは、
この学校に通うのは、学校の勉強についていけなかったり、
友だちとのコミュニケーションが取れない
子どもたちなのだろうというものでした。
しかし、その中学校で授業をさせてもらって、私は驚きました。
そこにいたのは、誰よりも深く物事を考えることができる子どもたちでした。
誰よりもやわらかな発想を持つこともたちでした。
誰よりも前向きな好奇心を持つ子どもたちでした。
そこにいたのは、まるで優秀な子どもたちを選りすぐって
集めてきたような子どもたちだったのです。
この子たちがはみ出してしまうとしたら、
そして、この子たちに居場所がないとしたら、私たち大人が創り出した社会は、
いったい、なんなのだろうと深く考えさせられました。
(中略)
子どもたちと話をしているときに、ある一人が私に向かってこう言いました。
「個性って作るものとか、伸ばすものはないんだよね。
個性は出てきちゃうものだから」
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多くの人は雑草を、多分見下しているというより、関心も寄せないでしょう。
「世の中に雑草という名の草はない」
これは昭和天皇が語ったという言葉ですが、
どんな雑草も個々の名前がありますし、力強い生きる力を持っています。
自然を歩くということは、そんな生命力に触れるということなのだと思います。
それを肌で感じること、こんなに簡単なことはないと思えるのに、
多くの人には、それが難しいということなのでしょう。
私のごく身近にも、散歩してほしい人がいます。