「都会で働く人には、時間に追われ、
一直線に進む「直線の時間」が流れていると言われています。
「直線の時間」では、失敗は許されません。
やり直すチャンスが与えられることなく、時間が前に進んでいきます。
学校にも、いつかこの「直線の時間」が流れている気がします。
定期考査や行事を中心に時間が進み、その間に授業が敷き詰められます。
一つの試験が終わると、すぐに次の試験が待ち構え、
失敗してもやり直す時間の余裕はありません。
教師も復習する間もなく、次の試験に向けての授業を進めます。
この「直線の時間」に対して、「循環する時間」があると提唱したのは、
哲学者の内山節さんです。
これは、『なぜ教えない授業が学力を伸ばすのか』山本崇夫著に
書かれていた文章です。」
【直線の時間】
私も、企業に勤めていたとき、
一つが終わってもまた次がある
果てしなく新しいことに挑戦しなければならない
右肩上がりで成長し続けなければならない
目標を達成しても、さらに高い目標が待っている
とにかく果てしのない頑張りが求められ、
直線的に時間に追われてきたなと思います。
無理に無理を重ねていけばどうなるか?
それは、どこかで破綻するということです。
人間の身体も同じですね。
これは大人だけでなく、子どもたちもそうです。
長い人生を、人間らしく豊かに生きるために
とっても大事な幼児期、学童期、思春期にかけて、
- 学ばされ
- テストされ
- 評価され
- ダメだしされ
- 比べられ
- 人よりも良くできることを強要され、....
子どもたちから、笑顔が消え、学ぶことはつらいと感じ、
主体性が育たない、そんな悲しい状況があります。
ドリマのパンフレットに、
「将来に希望を持てない子どもたちが教室の中にもいます」
と書かれていますが、私もそれを肌で感じてきました。
【選抜社会】
いまの世の中は、「選抜社会」と言えるのではないかと思います。
「選抜社会」は、これを書いていて出てきた言葉です。
小さいころから選抜に選抜を重ねて、
多くの人が、人生の大半を生きているのではないでしょうか。
その意味では、私の人生は結構うまくいきました。
- 受験勉強的なこともせず高校に入り
- 国立大学に現役で受かり
- 就活もすんなりいき
- 若い時から海外出向をさせてもらい
- 課長、部長と出世もし、カナダでは社長も経験し
- えぇっ、こんなものかとは思いましたが、そこそこの退職金もいただきました。
一生追われるようにがむしゃらに生きて、
持ちきれないものを抱えて、孤独に死んでいく。
そんなことがあるとすれば、とても悲しいことです。
私の場合は、持ちきれないものを抱えるということはなさそうですが。
私は、幸いなことに、50歳を過ぎて、
そんな「選抜されて生きていく人生」に疑問を持ち、
「選抜されなくなった後の人生」について、
向き合う期間をもち、行動も起こすことができました。
「循環する時間」と「自然の営み」につづく