『「直線の時間」と「選抜社会」と』の続きで、
『「循環する時間」と「自然の営み」』を書く予定だったけど、
昨日読んだこの本に惹かれて、先にこちらを書いてみることにしました。
最近、ある関心を持って見たり書いたりしていると、
たまたま開けた本に、それにぴったりのことが書かれていたりすることが、
頻繁に起こっています。
昨晩読み始めたこの本にも、「直線の時間」に関わることが書かれていました。
それが、この小学4年生の始(はじめ)君へのお母さんのことばです。
急死したお父さんのお葬式のあった日の夕食の後のことです。
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「そんなことでは、ひとには勝てん、お父さんの口ぐせだったわ。
でも、ひとに負けないように仕事するって、そんなにいいことだったのかしら。
それで、あのひと、満足だったのかしら。
いそがしい、いそがしい、そういいながら、あの人は走り続けたんだわ。
ひとよりまえを、もっとはやく、もっとはやくって、
走りつづけて、走りつづけて、ばったりたおれた。
そんな気がするわ。」
「たしかに、お父さんは、お父さんのやりかたで、がんばったんだと思う。
でも、お母さんの気持ちをいっとくわ。
もしも、がんばるということが、お父さんみたいに生きるってことだったら、
.... ひとに勝つことが、がんばるっていうことだったら、
始、お母さんは、あなたにがんばってほしくなんかないのよ。」
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この言葉は重いけど、このものがたり自体は、深刻なものではなく、
ワクワク、楽しく展開していきます。
ものがたりは、この言葉から始まりました。
「この物語の転入生は、4年1組の教室で、
いままでだれもみなかったものを見ました。」
そして、あとがきで、作者はこう話しています。
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もしも、学級のなかに、なにをしても、
わざとびりになる子がいたらどうなるだろう。
そう考えたのが、この物語をつくりはじめたきっかけです。
その子は、なぜ、わざとびりになろうとしているのか。
だれだって、びりにはなりたくないはずです。
わざとびりになろうとするのは、その競争を本気で考えていない、
その競争とはちがうことに関心がある、ということでしょう。
では、学級のなかの競争よりおもしろいことってなんだろう。
いやそれよりも、学級のなかの競争というのは、
本気になるだけのねうちがあるものなのだろうか。
学級って、競争するところなんだろうか。
そんなことを考えているうちに、
びりっかすさんは、ひょいと生まれてきたのです。
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子どもに順番を付けると、どんな場合でも、「一番」と「びり」ができます。
そんな競争は、必要なのでしょうか?
しかし、現代は、何事においても「選抜・選別されていく社会」です。
もし、クラスの36人全員がびりっかすだったら、
それは、みんなが一番でもあるということになりますね。
- みんなの成績が底上げされ、
- チームワークが醸成されていく、
- そして、価値あるものに本気になる、
子どもたちが、そうやって成長し、最後には先生も変わっていく、
そんな物語が、「びりっかすさん」という摩訶不思議なキャラを使って、
誰も思いつかないような方法で、読者を楽しませます。
子どもたちが主役のものがたりです。
そのものがたりを、読んでみて、あまり脈絡はないけれど、
Sol Cafeページの『Sol Cafe_幸せの栖』とは:
この想いを込めたメッセージを読み返してみました。
そして微調整しました。
しばらく、見ていなかったなと感じています。
これからは、何度も見返していくことになるだろう、
そんな予感もしてきました。
この本の作者である岡田淳さんのものがたり、
私はとっても気に入っています。
これまでに、
「放課後の時間割」
「学校うさぎをつかまえろ」
「雨やどりはすべり台の下で」
「リクエストは星の話」
「二分間の冒険」
「クンジャクンジュは毛虫じゃない」
を読んで、この「びりっかすの神さま」が7冊目です。
8冊目の「ようこど、おまけの時間に」も借りてあります。
こんな発想の「ものがたり」を紡いでいけたらな、そう思います。