この本からFacebookに2つの言葉を引用しました。
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凡庸な教師は、ただしゃべる。
良い教師は、分かりやすく解説する。
すぐれた教師は、自らやってみせる。
そして、本当に偉大な教師というのは、子どもの心に火をつける。
(ウィリアム・ウォードのことば)
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他人と比べるのではなく、過去の自分と比べると成功しか生まれない。
この世は、常に行動した人が得(成功)する。
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この言葉がそうこういうのではなく、
子どもの心に火をつける大切さを日々思っています。
人と比べるのでは、いつまでも抜け出せない。
でも、失敗は成長なのだから、なにをやっても、
過去の自分よりは成長しているんです。
これ、若い人たちには難しい。
でも、今の私にはわかります。
それ以外にも、学ぶことが多いので、自分で買って蔵書にしました。
これも興味深い内容です。(敬体を常体にして引用)
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「痩せるって決意したのに、なかなか痩せられないんだよね」
という話もよく聞く。
これは決意の対象を間違えている。
10Kg痩せるという目標は「結果」である。
極端な話、その結果に対しても目標は、
一度思い描いたら、あとは放っておいてよい。
何度も決意を新たにする必要もまったくない。
それよりなによりも、決意を確かにしなくてはならないものがある。
それが「原因」だ。
例えば、「感触をしない!」という原因への決意。
「毎日ウィーキングをする!」という原因への決意。
原因に対しての決意が確かにできれば、痩せるという結果は必ず生じてくる。
決意しなくてはならないのは、結果に対してではないのだ。
決意しなくてはならないのは、原因に対してなのである。
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確かにそうなんです。
「結果」にコミットすると、それが達成できなかったとき、
それは失敗となり、言い訳を考えるようになります。
「原因」にコミットすれば、たとえ続かなかったとしても、
がんばったプロセスにフォーカスが向かうので、
成長が感じられるでしょう。
同じく、敬体を常体にして引用します。
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子どもの喜びは、成長とともに大きく分けて3つの段階を経る。
一つ目は「もらう喜び」 最も初歩的な喜び。
自分に対して何かをしてもらって感じる喜び。
- 赤ちゃんは抱っこされて喜ぶ。
- ミルクをもらって喜ぶ。
- あやしてもらって喜ぶ。
二つ目は「できる喜び」
少し成長して、いろんなことができるようになると感じる喜び。
自分の行いについて感じる喜び。
- 野球ができて喜ぶ。
- 計算ができて喜ぶ。
三つめは「与える喜び」
自分のしたことで相手が喜ぶ。
その様子を見て感じる喜び。
「親の愛」に最も近い喜びかもしれない。
この3つの喜びは、段階を経るごとに大きく強くなっていく。
一つ目や二つ目の喜びも大切だが、
この3つ目の喜びを心底から感じられるようになったとしたら、
少しずつ心が成長してきている証と言えるのだと思う。
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最近ニュースになるスキャンダルや犯罪、虐待などを見ていると、
成長が二つ目までで止まっている人がいるように感じます。
三つ目のヨロ曽木の一つが、「応援」だと思います。
これは、そのまま引用します。
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人は応援されることで、どんどん伸びていきます。
周りからの応援の力が、自分の力に変わっていくからです。
自分一人の力では越えられない壁すらも
突破する不思議な力を与えてくれるのが応援です。
応援力は、応援される人にだけ効果があるのではなく、
応援する側にも素晴らしい効果があります。
友だちを応援していると。自分でもできるようになるのです。
それは勉強でもスポーツでもあらゆる状況において言えることです。
今までに私は、教室で何度もそういう場面を目にしてきました。
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そして、最後に子どもたちへの「語り」の一例です。
人のためになろう、応援しようというだけでは、
子どもたちはピンと来ていません。
それを、語りかけることで、
子どもたちが「なるほどな」と思えるようになっていくのです。
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私たちは、自分の声を自分の耳で正確に聞くことができません。
テープやビデオで自分の声を聞くと、変な感じがするのはそのためです。
人の声はちゃんと聞けるのに、自分の声は正しく聞けません。
先生の奥さんは美容師を10年以上続けているので、
とっても上手に髪を切ることができます。
しかし、たった一人の髪だけは切ることができません。
それは「自分」です。
器用な手を持っているのに、
自分の髪だけは上手に切ることができないんです。
みんなの「目」もそうです。
ほかの人の顔は、ぱっちりハッキリと見ることができます。
けれど、そんなに良い目を持っているのに、
自分の顔は、鏡を使わなければ見ることができません。
人間の体は、これほどすばらしく作られているのに、
「自分のため」に使うには、不便なことがたくさんあります。
ということはきっと、
もともとこの体は「人のため」に使わせてもらうように作られている
のではないかと思うんです。
だから、人のため、友だちのために何かしようとする人は、
たくさんの力が出るようになるんですね。
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