【学びの時間】選択できるということ⑤ 「しない」を選択することの意味

菅原裕子著『10代の子どもの心のコーチング』に

書かれていたこの言葉がすごく響いた。

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「できない」と「しない」には、大きな違いがあります。

「できない」と言っている間は、選択がありません。

ところが、「しない」を選択した瞬間に、「する」という選択が生まれます。

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これは【学びの時間】選択できるということ②に引用して、

また、ここに戻ってきたいとしていた言葉である。

 

そのエピソードとして書かれていたことは、こんなことだった。

 

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小学3年生のころから不登校になり、

中学生になっても学校に行けなかった息子の母は、

悩む親としての成長が必要だと感じて、

さまざまな学びの場に身をおいて学んだことがある。

  • 彼女自身が、意識して人生を選択することで、彼女が被害者にならずにすむということ。
  • 自分が選んだという意識があれば、その真実をよりよいものにする意欲もわくということ。

息子と向き合い、学校へ行くか、行かないかを選ばせた。

息子は行かないことを選択した。

彼女の肩から、息子を学校に行かせようとする負担がおろされた。

彼は、「行けない」のではなく、「行かない」ことを選択することを選んだ。

 

中学2年になったとき、彼は選択授業に参加することを選んだ。

先生の努力もあり、音楽の得意な彼に対して、

軽音楽の授業に彼の居場所を準備してくれた。

中学3年で高校受験を決意。

 

何のために高校へ行くのかの説明を求めると、息子の答えは、

「同年代の人たちとのコミュニケーションを学ぶ」だった。

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このお母さんは、子どもに対して無力な自分の成長のために、

いろんなことを学び、それを実践した。

しかし、このようなケースは、どれだけあるのだろうか?

 

 

【学びの時間】選択できるということ④には、この言葉があった。

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罪悪感にとらわれている親は、子どもと自分を分離できず、

問題を大きくしてしまいます。

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このような状態にあると、

  • 無意識に自分や子どもを追い立てる。
  • 思い通りのことが起こらないと、子どもの努力が足りないからだと、自分を責める。
  • 罪悪感を抱いていると、子どもを責めるだけではなく、時には、つい申し訳ないという気持ちから、必要以上に子どもにかまってしまう。

ことになる。

 

子どもと自分を分離できていない親というのは、自分自身が自立できていない。

その状態では、子どもを自立させることはできないだろう。

 

子どもが学校に行かないとき、どうするか?

子どもを学校に行くようになるのが目的ではない。

行かせようとか、行かなくても仕方ないと思うのではなく、

大事なのは、どうしたら子どもが自分で選択し、

選択したものに責任を持って行動できるようになるのか、

そのために自分には何ができるのかを、

上述のお母さんのように考えることだと思う。

 

これまでなんども、同じようなことを書いてきたが、

いつも行き着く結論は同じである。

子どもの問題に直面したとき、親がやることは、

自分が自立するということ、

自分がイキイキと生きるようになることなのだ。

 

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 写真には、特に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮ったものを適当に貼っています。