菅原裕子著『10代の子どもの心のコーチング』に
書かれていたこの言葉がすごく響いた。
--------------------------
「できない」と「しない」には、大きな違いがあります。
「できない」と言っている間は、選択がありません。
ところが、「しない」を選択した瞬間に、「する」という選択が生まれます。
--------------------------
これは【学びの時間】選択できるということ②に引用して、
また、ここに戻ってきたいとしていた言葉である。
そのエピソードとして書かれていたことは、こんなことだった。
++++++++++++++++++++
小学3年生のころから不登校になり、
中学生になっても学校に行けなかった息子の母は、
悩む親としての成長が必要だと感じて、
さまざまな学びの場に身をおいて学んだことがある。
- 彼女自身が、意識して人生を選択することで、彼女が被害者にならずにすむということ。
- 自分が選んだという意識があれば、その真実をよりよいものにする意欲もわくということ。
息子と向き合い、学校へ行くか、行かないかを選ばせた。
息子は行かないことを選択した。
彼女の肩から、息子を学校に行かせようとする負担がおろされた。
彼は、「行けない」のではなく、「行かない」ことを選択することを選んだ。
中学2年になったとき、彼は選択授業に参加することを選んだ。
先生の努力もあり、音楽の得意な彼に対して、
軽音楽の授業に彼の居場所を準備してくれた。
中学3年で高校受験を決意。
何のために高校へ行くのかの説明を求めると、息子の答えは、
「同年代の人たちとのコミュニケーションを学ぶ」だった。
++++++++++++++++++++++++
このお母さんは、子どもに対して無力な自分の成長のために、
いろんなことを学び、それを実践した。
しかし、このようなケースは、どれだけあるのだろうか?
【学びの時間】選択できるということ④には、この言葉があった。
-----------------------------------
罪悪感にとらわれている親は、子どもと自分を分離できず、
問題を大きくしてしまいます。
-----------------------------------
このような状態にあると、
- 無意識に自分や子どもを追い立てる。
- 思い通りのことが起こらないと、子どもの努力が足りないからだと、自分を責める。
- 罪悪感を抱いていると、子どもを責めるだけではなく、時には、つい申し訳ないという気持ちから、必要以上に子どもにかまってしまう。
ことになる。
子どもと自分を分離できていない親というのは、自分自身が自立できていない。
その状態では、子どもを自立させることはできないだろう。
子どもが学校に行かないとき、どうするか?
子どもを学校に行くようになるのが目的ではない。
行かせようとか、行かなくても仕方ないと思うのではなく、
大事なのは、どうしたら子どもが自分で選択し、
選択したものに責任を持って行動できるようになるのか、
そのために自分には何ができるのかを、
上述のお母さんのように考えることだと思う。
これまでなんども、同じようなことを書いてきたが、
いつも行き着く結論は同じである。
子どもの問題に直面したとき、親がやることは、
自分が自立するということ、
自分がイキイキと生きるようになることなのだ。
写真には、特に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮ったものを適当に貼っています。