本屋で新刊の『ヒトの壁』など、養老孟司氏の著作が並んでいる中に、
この本がありました。
タイトルに興味があったので、借りて読んでみました。
この本の中には、同感だなと思えることがいくつも書かれていたので、
それを抜き出してみます。
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オリーブの若木に十分な肥料を与えすぎると、
樹齢百年という老木にはならないという。
思えば、当然で、わずかな栄養を必死で撮ろうとするからこそ、
根が広く伸びる。
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過保護、過干渉に対する警告の言葉です。
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いまは「みんな違っていい」とよく言われますが、
子どもの多くは「みんな同じがいい」と思っています。
「みんなと同じじゃなくてもいいんだよ。
自分のやりたいことをやろうよ」なんていうのは、
大人の勝手な論理でしかないのです。
みんなと同じようになるのが大前提で、
多様性は、その上に乗っかっているもの。
最近は、そこを勘違いして、
「多様性」という言葉を簡単に使い過ぎているような気がします、
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「みんな違っていい」というのは、その通りだと思います。
多くの子が「みんな同じがいい」と思っているのも、
たぶんそうではないかと思います。
その子のその時の状態がどうかによって、寄り添い方が違うので、
その子のことをよく見て聞いてあげることが大事だと思います。
『ケーキの切れない非行少年たち』の著者である宮口幸治氏が、
いくら教えようとしてもまったく興味を示さないので、
あきらめて「代わりにやってくれ」といいました。
そうしたら、何人もが「自分にやらせせて」「自分が教える」と、
先を争うように教壇に出てきたそうです。
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このことがあって以来、何かあったら「教える」のではなく、
「とにかくさせてみる」ことをモットーとしています。
教える側の人間は、自分はすでに学んでいることを教えるから、
子どもたちが分からないとどうしても
「なぜわからないんだ」となってしまいがちなんです。
子どもたち同士、わからない視点で教え合うから、わかるのかもしれません。
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子どもたち同士が教え合うというのは、すでにそこここで行われています。
多くの学校で取り入れられている「アクティブラーニング」や、
いわゆる「学び合い」が成果を出している例を、何度も本で読んでいます。
養老孟司氏と自由学園園長の高橋和也氏との対談を抜き出してみます。
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養老:
何もかも手に入るわけではないけれども、生きているだけで満足できる。
そんな状況を、生まれてくる子どもたちに対して、
つくってあげないといけないでしょう。
何も難しいことではありません。
親が子どもに対して、「あなたたちが元気に飛び跳ねていてくれればいい」
とさえ願えばよいのです。
にもかかわらず現状は、「あなたの将来のためだから」と言って、
わが子に過剰な教育を強制し、いまある楽しみを我慢させている。
それは、親が自分の不安を子どもに投影させているだけです。
子どもたちの日常の幸せを考えてやらねばなりません。
高橋:
まったく同感です。
私はかねてより、「親」は自分の願望を子に託すな」と訴えています。
「こういう教育をしてやれば、
自分にはできなかったこんな夢が実現するのではないか」
というような気持ちが強すぎる。
試したいのであれば、例えばわが子に英会話を習わせる前に、
まずは自分がやってみればいい。
もちろん、子どもに期待する親心は当然のものですが、
だからといって、あれもこれもと押しつけて、
日常の幸せを奪っては本末転倒です。
「放っておく勇気」も必要なのです。
結局のところ、子どもに後悔してほしくないからではなく、
親自身が後悔したくないだけなのでしょう。
私はそれを「後悔したくない症候群」と呼んでいます。
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この本で同感したことは、これらです。
- いまある楽しみを我慢させないこと
- 今の幸せを大切にすること
「わが子に英会話を習わせる前に、まずは自分がやってみればいい」
これは、まさにその通りだと思います。
親が楽しそうにやっていることは、子どももまねするからです。
放課後子ども教室に来る子どもたちも、塾も含めて多くの習い事をしています。
私は、勉学のための塾は行かない方がいいと思っていますが、
さまざまな習い事自体はいいことだなと思います。
子ども自身が選択して、いやになったらやめれれるのであれば。
親は子どものために選択肢を増やしてあげること。
あとは、子どもを信じて、木のうえに立って見ていればいい。