『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹著 新潮新書)を
あと少し少し読み進めていきます。
そのままの引用ではありませんが、
書かれている内容をほぼそのまま記載する場合は、常体で書いていきます。
いじめが起きる原因を一言で言い表すことはできないが、
いじめが起きる背景には、私たちの心のなかに正しいと思って
刷り込まれている価値観があることを見逃してはいけない。
- 我慢できること
- 一人で頑張ること
- 弱音を吐かないこと
- 人に迷惑をかけないこと
と言った価値観が「いじめ」を引き起こす原因にもなっている。
これらの価値観が刷り込まれた人は、それらができない人を見ると、
不快感が湧き出し、イライラし、我慢できなくなる。
自分のなかに正しいと思って刷り込まれた価値観が多ければ多いほど、
他者に対して「許せない部分」が増えていく。
それがいじめに発展していくケースがある。
私は、これを読んだとき、逆もあるのではと思いました。
自分ができないことを、難なくやっている人を見ると、
不快感が出てきて、イジメてしまうということもあるはずです。
著者の言葉を続けます。
大学生に、中学や高校のときに自分がいじめられていたとしたら、
その事実を親に言えるかと問うと、「言えない」という子が多い。
- 恥ずかしい
- 親を悲しませたくないから
- 親に迷惑をかけたくないから
- 理由はわからないが、とにかく言えない
なぜ、親に言えないのか?
一般にいわれるような親子間のコミュニケーション不足とは思わない。
そうではなく、「しっかりしたしつけ」によって、
知らず知らずのうちに「正しいこと」として刷り込まれた価値観があるから、
言えないのである。
ではどうすればいいのか?
一般的に「いじめられた子」の心情を考えさせる指導が徹底されている。
受刑者に対して行う「被害者の視点を取り入れた教育」と
同じ流れになっているのである。
「いじめは悪いこと、だからいじめた子に反省させよう」
そういう教育ではなく、「いじめた子の心理」を最初に考えさせる
「いじめた子の視点を大事にする教育」が必要なのである。
別の視点も書かれています。
親が子どもの前では常に、「親としてしっかりしないといけない」
と思っていることも、後に子どもが問題を起こす原因になる。
親が弱音を吐けないと、子どもも弱音を吐けなくなるのである。
これは、①で引用した言葉につながっています。
写真には、特に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮ったものを適当に貼っています。