数多くの言葉の中で何が一番大事だと思うか?
言い換えると、人生を生きる中で、一番大事なことは何か?
と問われると、`私はいまなら、「感謝」と答えるだろう。
逆に言うと、いま世の中を見渡したとき、
「感謝」が失われてしまったのではないかと思われることが、
そこここに、たくさん見られるからでもある。
一人ひとりが心から「感謝」を感じることができれば、
世の中は大きく変わっていくだろう。
では、究極の感謝とは何か?
この問いは、福岡伸一著の『最後の講義』と
『動的平衡』を読んだとき、出てきたものだった。
福岡伸一さんは、生きているということについて、
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絶え間のない流れの中で合成と分解を繰り返しているさまは
「変わらないために変わり続けている」と言い表すことができる。
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と言われています。
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生命は、38億年もの長い間、なくなることなく連綿と続いています。
なぜ、生命だけがエントロピー増大の法則に逆らって
生きながらえているかというと、最初から頑丈に作ることは諦めて、
自分自身をゆるやわやわに作っておき、それを常に分解して、
捨てて作り変えるという戦略をとったからです。
エントロピー増大の法則が襲ってくるよりも先回りして、
自分自身を積極的に壊し、作り替えるという動的平衡を繰り返すことによって、
秩序を作り直しているから、生命は存続できているのです。
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食べたもので人間の体は作られるともいわれ、
常に細胞は作り替えられていて、
一年もたてば、肉体的にはすっかり新しい自分になっているといわれる。
さらに、
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さまざまな分子、すなわち生命現象をつかさどるミクロなパーツは、
ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らって作り出される。
そこでは、新たに作り出されたパーツを、
それまでに作り出されていたパーツとのあいだに、相互作用が生まれる。
その相互作用は常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げていく。
その途上、ある場所とあるタイミングで作り出されるはずのパーツが一種類、
出現しなければ、どのような事態が起こるのだろうか。
生命は、何らかの方法でその欠落をできるだけ埋めようとする。
バックアップ機能を働かせ、あるいはバイパスを開く。
そして、全体が組み上がってみると、何ら機能不全がない。
つまり生命とは機械ではない。
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自分の体は、こんなにもけなげに一瞬も止まることなく働いている。
自分がどんなに不摂生しようと、懸命に正常を保とうとして頑張っている。
だから、私が思う究極の感謝とは、「自分の身体への感謝」なのである。
自分の身体があって、すべてが始まる。
障害があるかないかではなくて、健康か、そうではないかということ。
身体のどこかに違和感、不具合があると、身体は「頑張っているな」と感じる。
不具合を感じる部分に手を当てて、ありがとうという気持ちで、
「気」を吹きかける意識で呼吸すると、たいがいその不具合はなくなっていく。
村上和雄さんも、著書の中で言われているのは、
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生命を守り、生命を育んで楽しませる方向に遺伝子がはたらくのは、
自然の法則に合致したときです。
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そのために必要な大事な3つのことは、
- 志を高く
- 感謝して生きる
- プラス発想をする
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ということ。
感謝して生きるについては、こうも言われている。
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遺伝子をみていると、私たちが生きて存在していること自体が驚異的です。
私たちは、約60兆(最近では37兆ともいわれる)の細胞の集まりですが、
細胞が集まって高度な秩序をもつ器官や臓器をかたち作っています。
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腎臓は一つの生き物のようなじはたらきをしていますが、
大小さまざまな血管、ろ過装置など、役割を異にする細胞から構成され、
これらの細胞の協力で、そのかたちを決めて、
人体にとって大切なはたらきを担っています。
しかし、個々の腎臓の細胞をみていると、
腎臓のために自分の役割を果たしながら、それぞれの細胞では、
自分独自のはたらき、細胞の維持や修復を、
自主的と思えるほど見事に行っているのです。
たとえば、血管の網の目がたえず修復されるためには、
血管の細胞が自主性を持って行動しなければ不可能なことなのです。
さらに細胞は集まって血管をかたち作る際、
分裂速度を調節したり、かたちを調節したりする。
これは「部分」である細胞が
「全体」としての性質を備えていることを意味しています。
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これはまさに驚異であり、大きな畏怖でもある。
ここに引用した驚異は、ごくごく一部のたとえであって、
人体全体を考えると、まさに生きているということは奇跡ともいえる。
身体をミクロの秩序とすれば、地球環境や人間社会はマクロの秩序と言えよう。
どちらも本来は同じ構造であり機能だと感じているが、
どうもマクロの方が、いまは、うまくいっていないようである。
それによってミクロもおかしくなってきている。
少なくとも、自分の身体には最大限の感謝をしていきたいものである。
写真には、特に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮ったものを適当に貼っています。