こんなタイトルのブログを書こうと思ったのは、
村上和雄著『生命の暗号』のこの部分を読んで、
魂とは何かのイメージが浮かんできたからです。
魂について、このように書かれています。
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遺伝子は物質であり、魂を物質レベルで説明することは、
今のところ無理なのです。
とはいえ、説明できないことが「ないこと」にはならない。
私も魂は「あるのではないか」と思っています。
ただし、私の考える魂は、いまの自分が意識している心ではありません。
一般に、意識できるのは心であり、魂ではないと思うのです。
つまり魂とは無意識の世界と関係するのではないか。
魂はあるけれど、自分では通常は意識できないもののように思えるのです。
心はうれしくなったり、悲しくなったり、怒ったりします。
しかし、死んだら心はなくなるのです。
心とは意識の世界であり、肉体と不可分です。
肉体と不可分なものは、死んだらなくなっても不思議ではありません。
ところが、ここに無意識の世界というものがある。
これは自分でもはっきりできない世界ですが、
この世界が魂とつながっているのではないか。
魂は無意識とつながっていて、
そこからサムシング・グレートの世界へ通じている。
昔から神仏の世界が理性や意欲の範囲だけでがわかりにくいのは、
このためではなかったかと思われます。
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では、無意識とはなんでしょうか?
無意識は、自分の中にはないのではと思うのです。
たとえて言えば、PC内にあるのではなく、
ネット上のクラウドにある領域のようなものだと思えます。
自分の中にあるのは、アンテナのようなものです。
天とつながるといいますが、天にもクラウドがあって、
そこにはそれぞれの人間の無意識の領域があるのです。
自分の肉体や心や意識は、つねにそれと瞬時に交信しています。
自分の思考や体験から生まれた何かが、そのクラウドの領域に書き込まれます。
また、天のクラウド内の個人の無意識の領域同士は常に交信しています。
実生活の中で、学びや自分の好きややりたいことをやり続け、
他人とのつながりを大切にしているほど、
クラウド内の無意識の他の無意識との交信は活性化します。
その交信の中で、いろんな化学反応が起こります。
そこで生まれたものが、アンテナでキャッチできれば、
それが、何かが降りてきたという感覚なのです。
こうやって、シンクロニシティやセレンディピティと言われることが起こります。
肉体が死んでも、その無意識の領域は残っています。
人間が生まれてくるのは、魂の成長のためと言われますが、
人生を生きる中で、無意識の領域は成長していくのです。
死後、成長した無意識の領域は、未来の誰かに受け継がれます。
誰に受け継ぐのか、それはサムシング・グレートの領域になります。
無意識は自分の中にあるのではなく、天のクラウドにある、
その人が生きている間に成長した無意識の領域が、
世代を超えて受け継がれるものとしてみたとき、
それは魂ともいえる、それが私の思う魂です。
この考えも、クラウドの無意識の領域から降りてきたのでしょう。
自分自身、この考えは気に入っています。
これを信じていけば、これからの人生、前向きに生きていけそうです。
写真には、特に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮ったものを適当に貼っています。