【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(35) 子どもの「自然」はかけがえがないもの

『子どもが教育を選ぶ時代へ』(野本智子著 集英社新書)を読みましたが、

この本からの引用はありません。

ネットに、この本の要約的な内容の記事がありました。

「親子でマレーシアに教育移住」して見えた、日本の課題と求められる力とは? 日本の子どもが「自ら教育を選ぶ日」は来るのか | 東洋経済education×ICT (toyokeizai.net)

 

この記事の初めに、こう書かれています。

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私自身は、日本の公立小学校に子どもを通わせていました。

しかし、世の中が変わっているのに、教育は昔のまま。

子どもは学校に反発し、登校を嫌がりました。

そこで、縁のあったマレーシアに教育移住することを決断し、今に至ります。


マレーシアに来てみたら、教育がそもそも1種類ではないことに驚きました。

日本のように、黒板の前で教師が一方的に教えるスタイルもあれば、

ディスカッションやリサーチを主にした学校、

学校そのものに行かなくてもいい「ホームスクーラー」まで、

いろいろな教育が「選べる」ことに気づきました。

それ以来、わが家では子どもが主体となって、

自分で必要な教育をその都度「選ぶ」というスタイルを採っています。

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これを読んで、もっとも素朴な疑問として、出てきたのは、

「子どもや親は、なぜ日本の中で学校を選ぶことができないのか?」

ということです。

マレーシアに行くことのできない、世の中の大半の子どもたちは、

行きたくない学校で我慢するか、不登校になるしかありません。

 

コロナで宿泊療養していたときに多くを学びましたが、

そのとき「学びを選ぶ時代」について書いていました。

その本には、限られた日本における、教育の選択肢がありました。

【学びの時間】@ホテル療養中 不登校を考える① 居場所ではなくなった学校 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

ブログを改めて読んでみると、この学びの散歩道で書いてきたことと同じこと、

その総まとめ的なことが書かれていました。

 

今朝もモーニングショーで、

マイナ保険証の政府のごり押しの件が取り上げられていました。

そんな些末で、権威的・強圧的なことより、

もっと世の中を「子ども中心」、すなわち健全で幸福な未来の創造に、

政治や大人はもっともっと関心を向け、行動しなければいけないのです。

 

こどもは、AKU(あぶない。きたない・うるさい)です。

それが「自然」だ!と私は思います。

もしそれが、SOS(すなお・おりこう・しずか)だったら、

それはとても「不自然」です。

 

 ※SOS(すなお・おりこう・しずか)は私の造語です。

  子どもの悲鳴が聞こえる感じがするのです。

 

今日、私は「不自然さ」が嫌いなんだと感じました。

子どもたちには「自然」であってほしい、心からそう思います。

子どもたちが「自然」であればあるほど、

それは、大人を成長させてくれる存在となるのです。

 

子どもが、「自然」であるためには、どうすればいいのか?

それは、大人も、大人だからこうあるべきではなく、

長短織り交ぜた「自然」であること、そのまま子どもたちと接すること、

それが大事だと思っています。

 

もう一つ、つけ加えておきましょう。

できているかどうかは別にして、気持ちではこう思っています。

私は、「性善説」で人と接していると思っています。

そうでないと、一緒にいる人たちとの信頼関係は生まれません。

子どもたちとの関係もそうです。

子どもたちのダメな部分を見ると、見下すことになってしまいます。

子どもたちの、いいところを、できるだけ見てあげたい、

なぜなら、みんな「性善」なのですから。