菅原裕子著『10代の子どもの心のコーチング』
の次に出てくたのは、この言葉だった。
- 今の子育ては罪悪感にあふれています。
- 罪悪感にとらわれている親は、子どもと自分を分離できず、問題を大きくしてしまいます。
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現代は、生き方が多様にあり、どう生きるも自由で、
その選択がすべて私たちにまかされている時代だといいました。
そんな時代であることを感じ取っている親たちは、
自分の子どもたちが少しでもいい人生を選べるように、
少しでも「いいところ」に行けるようにと、
無意識に自分や子どもを追い立てます。
「いいところ」の一番わかりやすい基準が成績のよさ、偏差値だったりします。
時にはそれが、スポーツやほかのことにおきかわることもあります。
そして、思い通りのことが起こらないと、
子どもの努力が足りないからだと、自分を責めます。
子どもをそのように育てられていないことに、罪悪感を抱え込むのです。
罪悪感を抱いていると、子どもを責めるだけではありません。
時には、つい申し訳ないという気持ちから、必要以上に子どもにかまいます。
物を与えたり、甘やかしたり、機嫌をとったり、
これらすべては子どもの自立を妨げることはあっても、
それを促すことはできません。
大人の抱く罪悪感は、子どもの自立には何の役にも立たないのです。
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何かうまくいってないことがあったら、今やっていることをやめて、
罪悪感を手放し、どうなれば最高といえるかをイメージしてください。
そして、その最高と言える状態に向かって自分に何ができるのか、
子どもをどう援助できるのかを考えてみてください。
まずは、小さな一歩からです。
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「思い通りのことが起こらないと、
子どもの努力が足りないからだと、自分を責めます。」
これ、なんとも矛盾していると感じる。
それは、自分や子どもを追い立てるからなんだろうけど、
「無意識」にやっていることというのが、ちょっと厄介である。
学校に行くか行かないかであれば、「行く」「行かない」を選択できる。
しかし、どう子育てするかというのは、答えのない問いであるので、
何をどう選択できるかがわからない。
選択肢がないので、今やっていることをやめられなくて、
それを続けてしまうということになる。
子どもを何とかしようとする前に、
自分は大丈夫かということを考えることができないと、
「選択肢」は見えてこない。
「子どもの努力が足りない」のであれば、自分を責めるにつなげないで、
もっと俯瞰的にみることができるかにかかっている。
あるいは、子どもの立場になって考えられるかにかかっている。
その問題を子どもの問題としてとらえることができれば、
「選択肢」は見えてくるのではないだろうか?
写真には、特に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮ったものを適当に貼っています。