先週、『子どもの育つ条件』『おとなの育つ条件』柏木惠子著を読みました。
そこには、「子育て」はあるが「子育ち」は不在、
その理由は、おとな自身の発達不全があるから、
と書かれていました。
子どもは自ら育つ力を持っています。
親(おとな)は、それを見守りながら、必要な時に手を授ければよいのです。
しかし、親は往々にして、「子育て」しようとして、
かえって「子育ち」を妨げてしまっているようなのです。
いくつか引用します。
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子どもをしっかりみて、応答的態度で接するには、
親自身が不安を抱え込まず、心理的に安定していることが前提となります。
すなわち、親自身が生きているという実感や、
自分の将来に対しての希望を持てなければ、
子どもにゆったりとした気持ちで向き合い、
子どもをありのまま受け入れることは困難です。
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子どもの養育にあたる親自身が心理的に安定し、幸福感を抱いていることが、
何よりも有用なことです。
それには、親自身が成長・発達すること、その機会を持っていることが必須です。
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有能な観察者である子どもは、口やかましくいわれること以上に、
親がどうふるまっているか、どう生きているかということを、
自分のモデルとして学びます。
親自身が成長・発達を止めてしまっていながら、
子どもには一生懸命に努力すべきといっても、
子どもは親を批判的にみるだけです。
親自身がどんなことであれ、自らが成長すべく努力し、
精一杯生きている姿をみせることが、
子の発達に対して親が成し得ることです。
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子育ては子どもの発達のためだけではなく、
子育てをする親、おとなにとっても、
その成長・発達に資する意味がある営みであるという視点です。
親は育児に自己資源の投資をして、多大の犠牲を払いますが、
その反面、育児は他のいかなる活動からも得られない多くのものを、
親となる人、親をする人にもたらします。
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おとなの発達は、子どもの場合のように、
みるみる増える、どんどん巧くなるといったものとは限りません。
それとは質的に違った特徴を持っています。
その一つが、以前していたことをしなくなる、できなくなることです。
この消失/衰退という変化は、
新しい心の動きや行動の変化をもたらす積極的な変化です。
これは、おとな以降の発達に顕著な特質です。
このような意味で、人は生涯発達します。
そして、おとなが発達していないことは、本人はもちろん、
家族や職場など周囲の人々にも影響が及び、問題が生じます。
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そうなんですよね。
何事も大事なのは、「自ら育つ」ということのようです。
写真には、特に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮ったものを適当に貼っています。