子どもなんてだいたいこんなもの!?

『わからなくても、こころはある』山登敬之著という本を読みました。

発達障害に関する本です。

このなかに、書かれていることをシェアします。

 

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昭和も真ん中頃までなら、家にも近所にも子どもがごろごろいたし、

身近におじいちゃんやおばあちゃんもいたから、実物を参照したり、

経験者の意見を聞いたりすることができた。

世の大人たちには、

「子どもなんてだいたいこんなもの」

「まあ、こどものやることだから」

といった共通の感覚、認識があった。

だが、いまは違う。

親は経験より情報に頼るしかなく、その情報を得るのはもっぱらネットだ。

ただでさえ、子育ての不安を抱えているところに、

どこかで

「おたくのお子さん、ちょっと.....」

などといわれようものならもう大変。

家に帰ってパソコンを開けば、不安はますます膨らむ。

 

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ADHDは、不注意、多動、衝動性を主たる症状とし、

神経発達障害軍の一つに位置づけられている。

診断が慎重に行われないと、ひと頃なら、腕白、やんちゃ、

おっちょこちょいですんでいたはずの子どもたちも、

この病名を与えられてしまう心配がある。

実際に過剰判断が流行を生み、流行が過剰判断を生んだ結果、

ADHDの疑いで精神科を受診する子どもの数は激増した。

 

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かつてのやんちゃ坊主だのきかん坊だのが、

「子どもらしい」と見てもらえず、

「脳に障害があるらしい」と疑われてしまうのは、

逆にみれば、

それだけ子どもらしい子どもが珍しくなったということなのか。

それとも、大人しい子どもが増えた分、彼らが悪目立ちしてしまうのだろうか。

 

また別の視点から見ると、世の中が全体に不寛容になってきたことも、

腕白どもには不利に働いているのではないか。

 

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子どもたちは、ただでさえ日ごろから静かにしなさい、

いい子でいなさいと言われているのに、

さらにあちこちから外圧が加えられるようになる。

あげく、その要求に応えられる段階に達していない子は、

発達上の問題を問われるはめになる。

 

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以上はいずれも私の推論にすぎない。

だが、ADHDの流行という現象ひとつをみても、

子どもをとりまく状況が世紀を跨いで大きく変化してきたことは確かだ。

それにつれて、子どもは変わったのか。

大人たちの子どもを見る目が変化したのか。

これもまた判断の難しいところである。

 

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私の息子は、小さいころADHDと診断され、いろいろありました。

私が通っていた学童保育、いま通っている放課後子ども教室にも、

広汎性発達障害、ADHDと言われる子たちがいます。

ADHDと言っても、みんな違います。

ADHDと診断されていなくても、それに近い行動をとる子もいますし、

そんな状況を見ていると、それはみんな個性ではないかと思えます。

昔は何も言われなかったのに、

いま、そこら中にADHDの子がいるのはなぜでしょう?

それは、子どもを見る大人の目が変わってきたということ、

そして、大人に余裕がなくなり、おおらかさがなくなってきたから、

そう思えるのです。

 

私は、やんちゃしたり、騒いだり、いたずらしたり、けんかしたり、

多少危ないことをしても、しっかり見守っていけばいいと思っていますが、

学校内の教室や校庭を使う放課後子ども教室では、なかなかそうもいきません。

ルールがあり、子どもの行動を制約するような指導をしなければいけません。

また、子ども間の小さな諍いでちょっと痛い思いをしただけでも、

親からクレームが入ったりもします。

 

旧来から変わっていない学校システムに、そもそも問題があるので、

子どもを大人の価値観で縛ったり、いろんなことを禁止したり、

その場しのぎの対応をするだけでは、

根本的な問題は解決しないと私はずっと思ってきました。

いろんなアプリをつくって対処していこうとするのではなく、

OSそのものを替える必要があります。

 

いま、『イエナプラン実践ガイドブック』リヒテルズ直子著を読んでいます。

そこには、世の中が進化し、生活様式は100年前とは様変わりしても、

なぜか学校教育の姿だけは、

100年前とほとんど変わっていないというのはどういうことでしょう、

と書かれています。

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世界中の多くの国で、いまだに学校が、100年前と同じように、

「教室」という仕切られた空間で、教壇に立つ教師が、

整列して座っている子どもたち全員に同じ教科書を使い、

同じ方法で知識を伝える授業をしているというのは、

100年前の電話を見るのと同じくらいに

滑稽な光景だといってもおかしくありません。

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イエナプランの取り組みはとてもステキなことだと思っています。

さらに、サドベリー・スクールやきのくに子どもの村学園は、もっと自由です。

そんな一部の希望を持てる活動を見ながら、私が夢にえがいているのは、

学校のない教育、コミュニティ自体が学校という姿です。

「ここいまタウン(仮称)」をつくろう! | Facebook

 

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写真は、特に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮った写真を適当に貼っています。