後悔するって?

『確実に自分を変えていく法』マーシー・シャイモフ著に書かれていた

フレッド・ラスキン博士(スタンフォード大学 許しのプロジェクトの指導教官)

の言葉です。

 

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後悔は、良心や善意にもとる行動をしたことを告げてくれます。

この思いにつき動かされ、人は償いをします。

謝ったり、埋め合わせをしたりするのです。

後悔によって、自分がした行いを悪いとは思っても、

自分が悪い人間だとは思いません。

後悔は、自分の価値観を守るという点において、

プラスの機能として働き、後悔したからと言って自己を攻撃したりはしません。

 

一方、罪悪感とはマイナスの力です。

後悔と同じように、ある特定の行為に対する不満の声がわきますが、

償いをするというのではなく、罪悪感は自分に向けられ、害を及ぼします。

ターゲットになるのは、もはや自分の行動ではなく、本質的な自分自身なのです。

この自己攻撃は、自己愛を低め、

自己破壊的な行動、あるいは、うつ状態をまねきます。

このような状態では、償いなどでできるはずもありません。

この状態から抜け出すには、自分を許さなければなりません。

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これを読んで思ったのは、自己中の私は、

「罪悪感」を持ったことはないなということです。

ある時期まで「感謝」することを知らなかった私なので、

大きな「後悔」もした記憶がありません。

小さな後悔は、覚えていませんが何度かあったでしょう。

そんな私が、たぶん一生に一度という大きな後悔をしたのは12年前でした。

そのおかげで、いまの自分があると、こころから思っています。

 

それは、はたして後悔だったのだろうか?

自分の価値観を守るという点でプラスに機能したのだろうか?

 

その時に人生の価値観が大きく変わったというのが、私の経験です。

しかし、いま考えてみると、実際には、価値観が変わったというより、

生い立ちの中で身につけてきた歪められた価値観を脱ぎ捨て、

本来あったもとの価値観が現れたのかもしれないと思われます。

 そして、私が思う後悔とは、逃げずに真摯に向き合った結果、

とった選択がうまくいかなかったことで起こる内面の感情ということです。

 

ここまで書いた後で、この本をたまたま読んで、

そんなに単純なことでもないなと感じました。

ちなみに、この本は、本当にステキで、深い思いを抱かせてくれます。

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著者の香葉村真由美さんは、「罪悪感」と「後悔」の両方を経験されています。

 

耐え難いほどの苦しみの真っただ中にあった教え子が、

最後に頼ってきたのは、小学校時代の先生であった当時の著者でした。

しかし、そのときにかけた言葉「がんばって」が引き金となって、

彼女は、その数日後、自らの命を絶ちました。

それによって、著者は「罪悪感」から、

起き上がることもできないくらい自分を責め続けることになります。

そんな彼女が、再び起き上がることができたのは、

自分の娘たちからかけられた言葉でした。

「起き上がろうとがんばらなくてもいいから、生きているだけでいいから」

 

傷つき、ボロボロになっていたとき、

家族から、そのままの自分を受け入れてもらったことで、

そのままで生きていこう、ありのままの自分でできることをしよう、

そう思え、前に進むことができるようになったのです。

そこで、過去の悲惨な出来事は、

「罪悪感」の対象ではなく、「後悔」の対象になったのだと思われます。

そして、どんな子もひとりも見捨てない先生としての活動が始まりました。

この本があるのも、そのおかげです。

 

この本を読むと、今の学校教育システムのなかでも、

誰一人も置きざりにすることなく、子ども一人ひとりを大事にすることは、

不可能じゃないんだね、そう感じました。

先生の強い想いと、子どもを信じる力で。

 

誰一人として引き受けようとしない、手の付けられない6年生を、

著者は、自ら手を挙げて引き受けました。

しかし、うまくいきません。

行き詰まってどうしようもなくなったとき、

先生(著者)は、その子以外の生徒全員の前で、

「先生に手を貸してくださいと」頭を下げたのです。

これによって、クラスの全員が「やるよ」と立ち上がり、

クラス全体で、その子を承認していくことになります。

そのおかげで、体育館に17秒以上いることができなかったその子は、

堂々と卒業式を済ませ、中学に進学していきました。

 

子どもはみんなやさしいし、すごく創造的であることがわかります。

それはひとえに、大人がどう子どもたちを扱うか、信じるかにかかっています。

 

残念ながら、著者のような先生は、そんなに多くはないでしょう。

分かっていても、学校の中では十分なことができなかったりもするでしょう。

だから、彼が中学校に行ってから、そうすんなりとはいかなかったようです。

それでも、支えになったのは、6年生の時の同級生たちでした。

 

少し、後悔から外れてしまいましたが、

「子どもを信じる」ことの大切さを改めて感じさせてくれる本だったのっで、

それを感じながら書いてみました。

 

書きながら思ったのは、

「罪悪感」から救われるのは、人からの受け止められ方、

「後悔」から生まれるのは、人の受け止め方

ということです。