今の学校教育システムの中で言われる教師、
すなわち、子どもを教え導く存在は必要と思っていない私が、
この問いを持ったのは、この本を読み、ある言葉に接したからです。
Summerhill Schoolの創設者、A.S.Neill(ニイル)は不思議な人です。
いや、おもしろい人です。
もう少し、彼について調べてみようと思っています。
この本の冒頭に、こう書かれていました。
「まず、子どもを幸福にしよう。すべては、そのあとにつづく。」
その通りなんですが、これは簡単ではないんです。
この前に書いた「子育ての極意!」に書いた通りです。
なので、私は、この言葉の前に、これがあると思っています。
「まず、自分を幸福にしよう。すべては、そのあとにつづく。」
教師も同じでしょう。
いい教師とは、自分が幸福な教師、だから子どもたちを幸福にできるのです。
ニイルは言います。
「もっともよい教師は、子どもと共に笑う。
もっともよくない教師は、子どもを笑う。」
『ティール時代の子育ての秘密』天外伺朗著にも
ニイルの言葉が書かれています。
子育て金言集㉘
「すべての子どもは、自分自身の中に神を持っています。
自我が満たされた自由な子どもは、その神を発揮します。
善悪や正邪の価値基準を与え、子どもを型にはめようとすると、
その内にある神を悪魔に変えてしまいます。
つまり、法律や規制で縛り、道義で抑え込もうとするから、
罪をつくり、反逆者を創り出すのです。」
子育て金言集㉙
「自分に対する怖れは、コンプレックスを育て、
さまざまな問題を引き起こします。
教師は、まず子どもの内心の不安や恐怖や罪の意識、
そして、それから生じる自己憎悪から、
子どもを開放しなくてはいけません。」
教師は、teacher、すなわち教える人だとすると、
ニイルが言っている教師は、どちらかというと
「教えようとしない人」ということになりそうです。
その意味では、いい教師とは、
教えようとしない教師ということになるでしょうか。
今の学校でも、子どもたちが自ら学ぶのを、
教師が見守ることができればいいのですが,,,。