並木路の木は、かわいそうなまでに裸んぼ。
見るも絶えないくらい、枝枝が切り落とされている。
生きているのかと思えるほど、ひっそりとした佇まい。
でもね、彼らは確実に生きている。
これを見れば、心がワクワク。
生きようとする思い、生きる力は、形となって、
はっとするほど美しい。
今日図書館で見つけたのは、こんな本たち。
自然の木や芽や葉っぱにも、お顔がある。
これを見て、自然のお顔を求め、カメラ片手にお出かけする。
ちょっと薄着で歩くと、思いのほか寒く感じる。
今年は暖冬とはいえ、冬は冬なのだ。
春を待つ、この冬の時期が、思いのほか楽しい。
そのことは、年中歩いて、写真を撮っていて感じること。
まずは、木や葉っぱのお顔を探してみる。
探すと、意外と見つからない。
それでも、それなりのものはいくつかあった。
こんな感じ。
そんなお顔はほどほどに、本来の自然の美しさに心が奪われる。
くるくる くるくる くるくると、
小さなつるが、行き先を探して伸びてゆく。
なんとおもしろい。
とっても美しい。
心が休まる感じ。
いくら見てもあきない、くるくる、....
そんなくるくるのそばに、こんなくるくるも。
生垣には、真っ赤な新芽が伸びつつある。
黄色い可憐なお花も、ひそかに咲いている。
哲学者のような葉っぱもある。
くるくるも、
新芽も、
お花も、
葉っぱも、
いくつもあるけど、何一つ同じものはない。
ひとつひとつが、それぞれの固有のいのち。
自然を歩くと、いろんなものが見えてくる。
意識しないと、ほぼ間違いなく見過ごしてしまう小さないのち。
別に探しているわけじゃない。
自然のいのちの美しさに出会いたい、
そしてファインダーで覗きたい、
そんな気持ちで歩いていると、
はっとする造形が眼に入ってくる。
立ち止まって、じっくり見る。
ファインダーを通して見てみる。
ズームアップして、マクロに見る。
シャッターボタンに触れると、
ピピっとオートファーカスされた被写体は、
より美しく、その存在感を示してくれる。
いささか人工的だが、
まわりがぼけて、被写体が浮き上がってくる。
ただそれは、モノトーンに近い。
シャッターボタンを押す。
カシャッという音が響く。
一瞬おいて、写したいのちの色が蘇る。
その一瞬に、はっと息をのむ。
そんな体験は、何も特別な場所じゃなくていい。
住宅街の植え込みにも、生きる力の美しさが、必ずある。