台風、雨、....
数日前の天気予報は、山登りする日じゃないよと言っていましたが、
結果的に大きなお世話でした。
ひと月前に、かっちゃんと一緒に行こうと決めた目的は、
「高尾山の山頂で生ビールの大ジョッキを飲む」でした。
それに賛同する人もいるかと思い、
【裏山でSol Cafe@真夏の高尾山】のイベントをつくったのです。
そのかっちゃんは、天気予報の大きなお世話のせいで、
急遽いわきに帰らなければならず、生のジョッキはお預けとなりました。
そして今日、数日前に雨を心配していたチャックと一緒に登りました。
結果は、お日さま燦々。
真夏でもともと人が少ないのと、台風や雨の天気予報のおかげで、
かの高尾山はガラガラでした。
ありがとうございます。
11:20 高尾山口駅集合
雨で水が多くなっていそうなので、
予定の6号路をやめて、稲荷山コースを登りました。
12:40 山頂到着、頂上の茶屋で大ジョッキとざるとろろそばを食べ、
4号路を歩き、2号路から琵琶滝へ下り、6号路に合流して下山。
その後、高尾山温泉にゆっくり浸かりました。
時間的にも、混雑していなくて、ゆっくりできました。
その後は、昭和記念公園の花火での混雑の予想される立川を避け、
八王子で当てもなくさまよい、適当な居酒屋を見つけて、
17時前から飲んで帰ってきました。
そんな今日、大きなお世話の時代というキーワードが出てきたので、
これを書いています。
今の時代、個人的には、とても変な時代だと思います。
毒舌を発すれば、意味のないことでお金を得ている人が多いということです。
一方、人が生きる、子どもが育つという、
人間本来の生き方を仕事にしている人のところには、
ほとんどお金が行かないのです。
お金が、世の中のために生きていない、そんな感じがしています。
大きなお世話を公然として、お金をたくさん得ている人が、
たくさんたくさんいる時代です。
そんな今は、ある意味、占いの時代と言ってもいいかもしれません。
数々の経済指標、一つ一つに専門家がいて、うんちくを語り、
当たるも八卦当たらぬも八卦の予想をしています。
そのせいで、お金を失っている人もたくさんいます。
気象予報士さんには申し訳ないですが、天気予報も大きなお世話なんです。
私は、その日の天気予報は見ます。
傘を持っていくのか、半袖か長袖か、....
その意味ではとってもありがたい存在です。
大きなお世話なのは、週間予報や長期予報です。
私は、まったく信じていません。
週間予報が雨だったら、ラッキーって思います。
これまでの体験からすると、ほぼ間違いなく外れるからです。
先の天気の予報って、どこかで役に立っているのでしょうか。
当たればまだしも....
大きな災害のためには、大事なことですが、
その日の天気予報以外は、必要なものでしょうか?
予報するからこそ、一喜一憂を誘発し、
よけいな心配や、やらなくてもいい行動や、ストレスを喚起している、
そんなふうに感じています。
今回の裏山でSol Cafe@真夏の高尾山も、完全に雨の予報でした。
3日前に雨と言われても、当日にならないと判断できないわけです。
だったら、当日まで、そのことは考えなければいいわけです。
昨日になると、これは台風一過で貼れるかもしれないと思えました。
案の定、そうなりました。
道はぬかるんではいましたが。
この例は、たいしたことではないと思いますが、
今の世の中、不安をあおることが多すぎる、と思えるのです。
残念ながら、それによって、
今時の社会や経済が成り立っているからなのでしょう。
それがなくなると、生計を立てていけなくなる人が、
たくさんいるからのではないでしょうか。
現代では、人間が生きる上で必要な【衣食住】、
逆にいえば、これさえあれば生きていけるのに、
それを超えたものが求められています。
生きていくうえでの大きなお世話ではなく、
不安を掻き立てる大きなお世話がないと、
時代は成り立っていかないのでしょうか?
天気だって、経済だって、将来を心配してもどうしようもないのです。
変に動くと、よけいにまずいことになります。
先のことはわからない。
だったら、世間が言っていることをいちいち真に受けずに、
「世の中、なるようにしかならないし、なるようにはなる」
のだからと思って、シンプルに生きていけばいいと思うのですが。