思風会通信No.140「にじみ出る謙虚さとは、なにか?」
2025年 10月1日
本物の人間になるための第1条件は
「不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さを持っているか?」です。
では、どうすれば謙虚さがにじみ出るようになるのか。
「自分は不完全だ」という自覚は、人間だけが持てるもの。
神は、完全。
動物は人間と同じように不完全。
しかし、動物は完全なるものをイメージすることができないから
「自分は不完全」だということを自覚できない。
完全なるものを意識できる人間にしか持てないものが
「不完全性の自覚」である。
頂点を極めながらもつまずいてしまう人は、
ほとんどが、この不完全性の自覚をなくして、
傲慢になってしまった人なのです。
大切なことは「謙虚さがにじみでること」です。
謙虚にしなければいけないと理性で考えているときは、
まだ「にじみ出る」段階ではない。
謙虚さが、にじみ出てくるようになるために必要なことは、
知らず知らずのうちに、
自分が罪を犯しているかもしれないという意識を持つこと。
日本では、親は子どもに
「人に迷惑をかけないように生きなさい」と教育することが多い。
人間は、他人に迷惑をかけないで生きることはできない。
知らないうちに、人に迷惑をかけているということを知ること。
人間は、不完全だから失敗しない人はいない。
罪を犯さない人もいない。
人に迷惑をかけない人もいない。
善良な人間とは、罪を犯さない人ではなく、
知らず知らずのうちに罪を犯していること、
人に迷惑をかけていることを意識している人間のこと。
もうひとつ「不完全性の自覚」をつくるために必要なことがある。
それは「感謝と謝罪」。
不完全性の自覚から直接的に出てくるものは、謙虚な心。
その謙虚な心が、具体的に行動として表現されたものが「感謝と謝罪」の実践。
人間の本質は、心。
人間らしい心とは、謙虚な心。
人間において傲慢さほど醜くて恐ろしいものはない。
人間は傲慢になったとき、人間であることを根底から失格する。
それほど大切な謙虚さも不完全性の自覚が、
身について体得されていないと、謙虚さが弱さになり、
媚びへつらいとなってしまうことがある。
ほんとうの意味での不完全性の自覚が身につけば、
ほんものの謙虚さとして出てくるものが「感謝と謝罪」の精神。
感謝は、不完全なるがゆえに人に助けてもらい、
人の世話になったときに、命から湧き上がる気持ち。
感謝という行為には、作為的なものが根底にあることがある。
「良い人と思われたい」「好かれたい」という気持ちがあり、
感謝には人間の完璧さを意識したところがある。
心の底から人間は不完全であると自覚したとき、
謝る・許しを請う・許すという行為となるのです。
謝る・許すという行為は、人間の深さに関係している。
不完全性の自覚は、感謝よりももっと深いところにある。
「ごめんなさい。私が悪かった、許してね」
という言葉にならないとほんものではない。
感謝よりも、人間としてのもっと深い行為は謝罪なのである。
「ありがとう」は言えても「ごめんなさい」「申し訳ありません」
「許してください」という謝罪の言葉は、単なる謙虚さではない、
ほんとうに大変なことをしてしまったという自覚と
深い反省がなければ出てこない言葉である。
謝罪の心こそ人間における最も深い謙虚な心であるということができる。
意識的に謙虚にしようとするのではなく、不完全性を自覚することで、
心の底から謝罪の心がでてきたとき、
謙虚さががにじみ出てくるようになるのです。
芳村 思風

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。