この本からも、いくつもの学びがあった。
先日、FacebookのSol Cafe ページに投稿した
「親の心得」も、この中に書かれていたもの。
非認知能力 = 点数(数値)化して測定することが困難な力
たとえば、
- コミュニケーション力
- 思いやり・共感性
- 忍耐力
- 自信・自尊感情
- 意欲
といったもの。
これが世界で初めて提唱されたのは、
2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・J・ヘックマン
(シカゴ大学・経済学者)によるものだというところを読んだとき、
素直に、えっ、そんなに新しいの、だった。
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的場康子氏の2008年の調査による子どもたちの放課後の過ごし方は、
- 電子ゲーム
- 学習塾
- 習い事
が圧倒的にトップ3だということ。
その子どもたちの保護者世代の子ども時代はというと、
公園などの外遊びが群を抜いて1位。
子どもたちに、「三間(時間・空間・仲間))」が
なくなったといわれて久しい。
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これは、いまも変わらないのだろう。
私は、いま放課後子ども教室に通って、
子どもたちの自由な遊びを見守っている。
心和むほど元気な小学校低学年生も、
多くの子どもたちは忙しい毎日を送っている。
習い事、塾、そして多分ゲーム。
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ジョン・D・クランボルツが提唱するのは、
社会的に成功した人たちに共通することは、「計画された偶発性理論」。
人のキャリアは、自分自身の手で切り拓いていくだけでなく、
人生の約80%を占める偶然出来事が大きく影響を与えている。
その偶然の出来事が起こらないように避けるのではなく、
むしろ、その偶然の出来事を最大限に生かしたり、
積極的に作り出したりすることが重要。
このようなできる人たちの共通点は、次のような非認知能力があること。
- 好奇心(新しいことを知り、学ぼうとできること)
- 持続性(失敗しても、あきらめずに努力できること)
- 柔軟性(状況に応じて、姿勢や物事の考え方を変えられること)
- 楽観性(チャンスはやってきて、つかめると考えられること)
- 冒険心(結果のことは考えずに、まずは行動できること)
この中で特に注目したい非認知能力は、「柔軟性」。
キャロル・S・ドゥエックが「マインドセット」を研究する中で、
柔軟に物事をとらえようとするマインドセットをもてば、
常に成長し続けることができ、凝り固まったマインドセットをもてば、
成長が見られないことを明らかにした。
柔軟さこそがそのほかのに非認知能力や認知能力を獲得、
向上させる原動力になるといっても過言ではない。
この柔軟さを身につけていくための心のあり方は、
日本の分化の中では「謙虚さ」として大切にされてきた。
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉通り、
歳を重ね大人になることができる。
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5つの中で、「柔軟性」が一番大事というのはよくわかる気がする。
「柔軟性」が「謙虚な心」に根差すということ、
それは「感謝の心」があるということと同じだと思う。
人類は行き過ぎてしまった。
感謝の心を失い、謙虚さのないふるまいをして、傲慢になっている。
そして、サステナビリティを損ない、
もう生き延びて行けない瀬戸際に来ているのが、まさにいまだと思う。
新型コロナウイルスの出現によって、
つくづく実感するのは、「柔軟性」がない世の中になったということ。
そこには、「謙虚さ」が全く感じられない、
それは、「感謝」できない人が増えてしまった、
そういうことなのだろうかと感じている。
新型コロナウイルスは、そんな人間に忖度なんか一切することなく、
実に柔軟に変異を遂げている。
そんな新型コロナウイルスに、人類は戸惑っている。
事実を謙虚に見極め、決断し、行動するというお身での柔軟性がないから、
やっていることは、優柔不断なことばかり。
幸いにも、先見の明のある人たちによって有効なワクチンが作られた。
だから、遅かれ早かれ、コロナ禍は沈静してくだろう。
私たち(人類というより人間)は、新型コロナが語りかけている言葉を、
しっかり受け止めて、思考・行動を変えていかなければならない、
私はそう思っている。
話を身近なところに戻すと、
「放課後子ども教室は、学校の延長ではない」
という私も想いに至る。
子どもたちには、思いっきり「非認知能力」を高めてほしい、
それは、心から楽しく遊ぶこと、
私はそう思って、日々子どもたちと過ごしている。
えらそうなことを言っても、私にできるのは、目の前にあることだから。
しかし、自分が体験してきたことや、聞くところによると、
学童クラブにしても放課後子ども教室にしても、
必ずしも、そうはなっていないようなのである。
子どもたちの挙動から、私自身もイライラすることがたくさんあるのも事実。
しかし、そこでカッとなってはいけないのである。
「柔軟」であることは、そう簡単ではない。
だからこそ、柔軟であることを意識していきたい、そう思っている。
大人が主役じゃない、子どもが主役であるということを忘れてはいけない。