味わいことばノート
『人類はどこで間違えたのか』(中村桂子著 中公新書ラフレ)より
生き物の世界には「区別はあるけれど、差別はない」のです。
それぞれの生き方を一つの物差しで測ることはできないからです。
人間も生き物ですから、人間同士の関係が、これにあてはまるのは当然です。
このような形で、
家族と共同体を作って暮らすという人間の特徴を生かした生活は、
これからどうなっていくのでしょう。
問いたいのは、ここです。
「私たちの中の私」を考え始めた理由の一つは、
近年見られる格差社会に対する
「これは人間社会の本来の姿ではない。なんとかしなければならない」
という気持ちです。
現在の格差は、
いわゆるグローバル化のなかでの新資本主義に基づく経済活動が、
人間が主体であることを忘れたシステムで動いているために招いたものであり、
それを考え直さなければなりません。
さらには、その底にある効率至上主義で便利さばかり求めて、
化学技術を開発してきた現代社会そのものを考え直す必要があります。
そこで目を向けなければならないのが、
家族や共同体という、人間が人間らしく生きる基本の姿の意味です。
時代によって、その姿が変化するのは当然ですが、
それを無視し崩壊させるのは、
人間としての生き方を捨てることになるのではないでしょうか。
もう少し明確に言うなら人間という知己には、生身の人間のありよう、
つまり「身体性」に目を向けなければならないのです。
私が「人間は生き物」という当たり前のことをくり返すのは、
私たちが一緒に食事をし、子どもを育て、
おしゃべりをしあう仲間と生きる基本を忘れていることに危惧を抱くからです。

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。