コミュニケーションの難しさ

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「最近の若者は、コミュニケーション(能)力がない」

とよく言いがちですが、言っている本人は、

自分の胸に手を当ててよく考えてみる必要がありそうです。

 

『わかりあえないことから』(平田オリザ著 講談社現在新書)より

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どんなに若者のコミュニケーション能力が向上したとしても、

やはり一定数、口下手な人はいるということだ。

これらの人びとは、

かつて旋盤工やオフセット印刷といった高度な技術を身につけ、

文字通り「手に職をつける」ことによって生涯を保証されていた。

しかし、いまや日本の製造業はじり貧状態で、

こういった職人の卵たちの就職が極めて厳しい状況になってきている。

現在は、多くの工業高校で(工業高校だからこそ)、

就職の事前指導に力を入れ面接の練習などを入念に行っている。

 

しかし、つい十数年前までは、「無口な職人」とは、

プラスイメージではなかったか。

それがいつの間にか、無口では就職できない世知辛い世の中になってしまった。

いままでは問題にならなかったレベルの生徒が問題になる。

これが、「コミュニケーション問題の顕在化」だ。

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私(平田オリザ)を阪大に呼び寄せた鷲田清一前半大総長の文章より

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駄目な看護師さんというのはわかりやすい。

患者さんが、「胸が痛いんです」と言ってくると、

「大変だ、先生呼んできます」と自分もパニック状態になってしまうような人。

 

標準的な看護師さんは、「胸が痛いんです」と言われると、

「どう痛いんですか?」「どこが痛いんですか?」

「いつから痛いんですか?」と問いかける。

これは当たり前の行為。

 

しかし、患者さんの受けのいい、

コミュニケーション能力の高いとされる看護師さんは、そうは答えないそうだ。

患者さんから「胸が痛いんです」と言われると、

そのまま「あっ、胸が痛いんですね」とオウム返しに答える。

ただの繰り返しに過ぎないのだが、これが一番患者さんを安心させるらしい。

 

おそらく、このことによって、その看護師さんは、

「はい、私はいま、あなたに集中していますよ。

忙しそうに見えたかもしれないけど、いまはあなたに集中していますよ」

ということをシグナルとして発しているのだと考えられる。

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もう一つのエピソードが紹介されています。

私(平田オリザ)の同僚の医療コミュニケーションの専門家から聞いた話。

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ホスピスに末期がんの患者さんが入院してきた。

50代の働き盛りの男性で余命半年と宣告を受けている。

奥さんが24時間、つきっきりで看護をしている。

さて、この患者さんに、ある解熱剤を投与するのだけれど、

これがなかなか効かない。

 

奥さんが看護師さんに、「この薬、効かないようですが?」と質問する。

ホスピスに集められるような優秀な看護師さんだから、

患者さんからの問いかけには懇切丁寧に説明をする。

「これは、これこれこういう薬なのだけれど、こちらの他の薬の副作用で、

まだ効果が上がりませんもう少し頑張りましょう。」

 

奥さんはその場では納得するのだが、翌日も、また同じ質問をする。

看護師さんは、また親切に答える。

それが、毎日、一週間近く繰り返されたそうだ。

やがて、いくら優秀な看護師さんでも嫌気がさしてくる。

ナースステーションでも、

「あの人はクレーマーなんじゃないか」と問題になってくる。

 

そんなある日、ベテランの医師が回診に訪れたとき、

やはりその奥さんが、

「どうして、この薬を使わなきゃならないんですか?」とくってかかった。

ところが、その医師は、「奥さん、辛いねぇ」と言ったのだそうだ。

奥さんは、その場で泣き崩れたが、翌日から二度とその質問はしなくなった。

 

要するに、その奥さんの聞きたかったのは、薬の効用ではなかったのだろう。

「自分の夫だけが、なぜ、いま癌に冒され死んでいかなければならないのか」

を誰かに訴えたかった、誰かに問いかけたかった。

しかし、その問いかけへの答えを、近代科学、近代医学は持っていない。

科学は、「How」や」「What」については、けっこう答えられるのだけれど、

「Why」については、ほどんど答えられない。

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シンパシー(同情)からエンパシー(共感)へと言われます。

平田オリザさんは、こういわれています。

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エンパシーとは、「わかりあえないこと」を前提に、

わかりあえる部分を探っていく営みである。

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身近に感じていることがあります。

子どもたちや親の言動を見ただけで、

「こんな人間だ」と決めつける大人がいるということです。

私自身にも少なからずあります。

「What」「How」しか見ないとそうなります。

そして、自分の固定観念に気がつかず、自分の思考に頼るとそうなります。

「Why」、なぜそういう言動をするのだろうかと感じながら、

人と接していくことが、エンパシーであり、

コミュニケーションということなのだろうと思います。