生きるストライクゾーンをひろげる

『学校に居場所カフェをつくろう!』居場所カフェ立ち上げプロジェクト
石井正宏(NPOパノラマ代表理事)

の冒頭にこんなことが書かれていました。

 

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20年前、ひきこもりの若者たちと出会いました。

彼らとの会話にたびたび出てくる「どうせ大人なんて」

という不振に満ちた大人像を笑顔で受けつつ、

その裏でどうにも飲み込みがたい違和感を感じていました。

その違和感を分解していくと、

結局彼らがいう「大人」って、親と先生なんですよね。

現代社会において、社会に一度も出ずひきこもるということは、

生身のロールモデルが、ほぼ親と先生しかないということです。

そのことに僕は衝撃を受けました。

なぜなら、僕の人格形成や人生観をつくったものは、

ほぼ親と先生以外の大人たちからの影響でできていたからです。

(中略)

そんな僕らの「~ではなくてはならない」

という”生きるストライクゾーン”の狭さに、私は何度も困惑しました。

その狭さの訳は、

彼らが生きざまにあこがれるような”カッコいい大人や、

得体のしれない価値観をもつ”変な大人に

出会わずに大人になったからだと思います。

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私は田舎育ちなので、家にはおじいちゃんおばあちゃんがいて、

まわりにはいろんな大人がいました。

先生も個性的で、この人どうよという変な先生もいたり、

みんなが人間味を出していたように思います。

 

ほとんどの人があせったり、あくせくしたり、将来を不安に思ったり、

そんなことはしてなかったと思います。

 

私自身、今は東京のマンションにいて、

近所付き合いはほぼゼロに近い状態です。

同じ年齢の子供のいる親たちのつながりや、

中庭で子どもたちが遊んだりしていますが、

コミュニティ的なつながりがないのです。

このブログを書きながら、

そうなんだよねと改めて感じています。

 

そのことを思うとき、

「生身のロールモデルが、ほぼ親と先生しかない」

ということの意味はとても大きいと感じます。

親と先生の責任の重さは半端じゃないということです。

 

私が働いている放課後子ども教室「けやきッズ」の

活動の中心は児童の自主的な遊びです。

責任者として毎日行く私以外に、5名のスタッフがいて、

週3日ずつのシフトで回しています。

 

みんな年齢はちょっと高いですが、私を含めて6人みんな個性的です。

大人も、本来みんな個性的なのですが、

ファーストプレイスとセカンドプレイスでは、

大人は、親という役割、先生という役割に縛られて、

個性を活かし切れていない、そんな状況にあるのではないでしょうか。

一方、けやきッズでは、見守りという立場があるだけで、

大人はみんな個性を発揮しています。

 

子どもたちのサードプレイスになっているんですね。

 

https://www.facebook.com/groups/749658085842163

そのけやきッズの拡大版が「ここいまタウン」と言ってもよいでしょう。

 

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