” 神社というのは「お願いごと」をしに行くところではなく、
「感謝」をしに行くところです。”
この言葉は、『ありがとうの神様』小林正観著に書かれています。
私もいまでは、これをよくわきまえて、
かつてないほど神社にお参りして、
「ありがとう」を唱えていますが、
正直、還暦近くに至るまで、私はこのことを知らなかったのです。
私が初詣などで見てきた神社というところは、
○○祈願や絵馬、おみくじにお守りなど、
なんだか、お金を払って、
「願いをかなえてください」
をするところのように見えたし、いまもそうです。
小林正観さんは、本の中でこのように続けています。
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そもそも、「祈り」の本来の意味は、
「意」に「宣(のりと)」と書き、
「意宣(いの)り」であり、
意のままに沿うこと。
つまり、
「あなたの仰せに従います。
あなたが望むように生きています。
ありがとうございます」
という意味でした。
そして、「願い」は「ねぎらい」が語源です。
「ねぎらい」とは、
「希望を叶えてください」ではなく、
「よくしてくださって、ありがとうございます」
と感謝することでした。
「祈り」も「願い」も、
「夢や希望を叶えてもらいたいとき」に
使う言葉ではありません。
どちらも神や仏に対して、
「すでに、たくさんの恵みをいただいています。
ありがとうございます」
と感謝を伝える言葉なのです。
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よく受験のときに合格祈願のためにお参りします。
「○○大学に合格させてください。お願いします。」
これが普通と言えば普通ですが、
みんながそれをやるわけですから、
実際には、受かる人がいれば、受からない人も出るわけです。
受かれば喜び、受からなければがっかりします。
たぶん、だからどうということでもないし、
「気休めだから」と言ったりするケースもあります。
しかし、神さまって、そんなに軽いものでしょうか?
「合格させてください」
というお願いをするより、
「私にここまで頑張らせていただき、ありがとうございました」
という感謝を伝える方が、
すごく気持ちが楽になると思います。
この場合、
合格すれば、さらに「ありがとうございます」となります。
不合格でも、やはり「ありがとうございます」になるはずです。
神社で感謝することは、神さまに、
「あなたの仰せに従います」
と言っているわけですから、
不合格にも、必ず意味があると思えるのですね。
また、ことが起こる前に感謝するということは、
結果よりもプロセスを大事にするということでもあります。
だから、感謝するほうが、肩の力が抜けて、
結果もついてきそうです。
最近やっと私も、このような感覚になってきています。
だから、神社には、少なくとも週一回はお参りに行き、
よけいなことは一切言わず、
「ありがとうございます」
を繰り返しています。
感謝します! ありがとう!