
『自他の境界線を育てる』(鴻巣麻里香著 ちくまプリマー新書)で、
バウンダリーについて学びます。
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境界線(バウンダリー)が、侵害されることで発生する苦しさは、
めずらしいことではなく、日常でもときどき起こります。
- 親がドアをバタンと音を立てて締めたり、大きなため息をつくと、自分が何か悪いことをしたような気がして、怖くなって機嫌をうかがってしまう。
- 自分の好きなものを誰かに否定されると、私自身が間違っているような気がしてしまう。
- 嫌だな、と思う誘いを断れない。
- 自分が誰かを誘って断られると、私自身が嫌われたような気がしてしまう。
- 集団のノリについていけなくて、自分が疎外されたように感じてしまう。
- 勝手に身体を触られて、嫌なのにやめてと言えない。
- 誰かと一緒にいて何となく疲れるとき、そう思う自分が悪いんだと申し訳なく感じてしまう。
- 勝手に部屋に入ったり、引き出しを開けてくる親に、何も言えない。
- 他の誰からどう思われているかが気になって仕方がない。
- 「あなたのため」と言われてモヤモヤするけれど、何も言えない。
- ただ「守りなさい」と押しつけれれる学校や家庭のルール。
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私は幸いにも、このような経験をした記憶がありません。
会ったとしても、特に気にしていなかったのかもしれません。
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人は、つらい環境に長い間置かれ続けているとその環境に慣れようとします。
慣れることでつらさを感じないようにして、
そうやって生き延びようとするのです。
境界線にも同じことが起きます。
侵害され踏みつけられ、揺らがされ続けると、
それをあたりまえだと受け入れて、慣れようとしてしまうのです。
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周囲から「なぜ嫌だと言わなかったのか」「なぜ抵抗しなかったのか」
「なぜ相談しなかったのか」と責めれられたり、
加害的な相手を選ぶことを自己責任だとされてしまうことが
二次被害(二次加害)です。
苦しさの上に誤解や偏見といった二次的な、
つまりもうひとつの苦しさが積み重なってしまいます。
バウンダリーの侵害は、それ自体が苦しいだけでなく、
この二次被害(二次加害)によって孤立と苦しみが深まってしまうのです。
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バウンダリーの侵害は、「私は私」の軸を揺るがします。
苦しいと感じる自分が揺らいでしまうので、
境界線がダメージを受けていることになかなか気づけません。
二次災害を受けても、これが「被害なのだ」と気づけず、
自分が悪いのだと自分を責めてしまいます。
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バウンダリーが侵害されることによって生じる「生きづらさ」のひとつに、
困っているのに「困った人」に見えてしまうということがあります。
身近な誰かに「私は私」の境界線が侵害され続けると、
誰かの境界線も踏み越えてしまったり、
また困難に対する「不器用な対処」を身につけてしまうからです。
私たちは、どんなにつらい環境でも「慣れる」ことで自分を守ろうとします。
つらい環境を「つらい」と感じ続けることもまた苦しいのです。
そう感じる自分を消そうとします。
そうやって「適応」することで、自分を活かそうとするのですが、
つらい環境の中にあるか外的な関係が当たり前になってしまうので、
自分でも誰かに対して、そのようにふるまってしまう危険があるのです。
(中略)
バウンダリーについて知っておくことは、二次被害が起きたときに、
それが「被害だ」と気づき、自分で自分を責めることを防ぐことができます。
そして、
誰かに対して二次加害をしてしまうことにもブレーキをかけてくれます。
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正直なところ、私には、理解が難しい領域ですが、思うことはあります。
それは、子どもの責任ではなく、大人の責任だということです。
例えば、冒頭の
- 親がドアをバタンと音を立てて締めたり、大きなため息をつくと、自分が何か悪いことをしたような気がして、怖くなって機嫌をうかがってしまう。
については、そうなった原因があるからです。
子どもが怖くなって機嫌をうかがわなければならなくなるようなことを、
過去にも、親が続けてきたからでしょう。
そういう大人は、自分に自信がなく、自分を信じることができません。
自分を信じることができなければ、他人を信じることはできないのです。
だから、容易にバウンダリーを超えて、自己満足しようとします。
これは、双方を不幸にする所業です。