『いのちはなぜ大切なのか』小澤竹俊著 ちくまプリマー新書
表題の問いに、自分ならどう答えるだろう? どう答えたらいいのだろう?
それがわからないので、このタイトルに惹かれて、この本を読んでみました。
しかし、そこには明確な答えはありません。
一人ひとりが考えるしかないようです。
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著者は、小学校に招かれて授業をすることがあります。
「辛いこと、苦しいことって何?」
と子どもたちに聞くと、出てくる答えは、
- 「朝起きるのがつらい」
- 「宿題がつらい」
- 「花粉症がつらい」
といったことでした。
これらに共通するものはなにか?
それは、「希望していることと現実に開きがある」ということで、
- 「起きたくない」
- 「宿題をしたくない」
- 「鼻はいつもスースーしていてほしい」
であってほしいのに、現実はそうではないからつらいのです。
でも、この程度なら何とかなりそうです。
いちばん苦しいのは、居場所を失い、
そこで生きることができない状態になったとき、
それまでの生きる意味を奪われたときです。
病気・事故・災害・戦争・紛争・虐待・いじめ・リストラなどの
「理不尽な苦しみ」は、原因を取り除くことは困難です。
人がつらい苦しみの中にあって、なお穏やかだと認識できるための条件は、
京都ノートルダム女子大学の村田久幸教授のスピリチュアル理論によると
- 「将来の夢(時間存在)」
- 「大切な人との関係(関係存在)」
- 「自分の自由(自由存在)」
の3つであるということです。
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ここに「最後の治療」という坂本真美(中学3年生)さんの詩があります。
この本の中で紹介されていました。
出典)すずらん会編(角川文庫)
『電池が切れるまで...子ども病院からのメッセージ』
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今、
考えてみると
あっという間に時間が過ぎて
最後の治療にはいる。
それは
今まで以上につらい仕事で
薬もいっぱい
気分が悪くなったりするらしい。
でもそれを乗りこえれば
元気になれる。
病気が治る。
外に出てみんなに会える。
家に帰れる。
いろんなやりたいことができる。
一人では、
乗りこえられないかもしれない。
だけど、手を伸ばせば
先生がいて
看護婦さんがいて
家族がいて
みんながいて
乗りこえていきたい。
乗りこえられる。
がんばりたい。
彼女にとっての夢は、
- 元気になれる。
- 病気が治る。
- 外に出てみんなに会える。
- 家に帰れる。
- いろんなやりたいことができる。
大切な人との関係は、
- 先生がいて
- 看護婦さんがいて
- 家族がいて
- みんながいて
だから乗りこえていける、がんばれるのです。
3つ目の「自由」については、
「自由」とは、「自己決定できること(自律)」であるということです。
いちばん重要なことは、「自分が大切な人間である」と思えること。
それを「自己肯定感」と言い、人を傷つけないという話の裏返しでもある。
ただ、漠然といのちを大切にするというよりも、
まず自分のいのちが大事だと思えるかどうかである。
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本の最後に書かれていたのは、この本で著者が言いたかったことです。
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「いのちを大切とは思えない」という人もいます。
そういう人がいていいとは決して思えないけれども、いることも事実ですし、
まず、その存在を認めなくてはいけません。
そのうえで、その人たちが、
たとえ、いのちを別に大切とは思わなかったとしても、なおその中にあって、
自分がそれでも生きていてよかったなと思える可能性を、
その人なりに考えていってほしい。
その可能性をどのように育むかを
「それが正解なのだ」というものはないのだということを前提にして、
ていねいに考え続けることが、いちばん大切だと思うのです。
答えは考えつづけなければいけません。
でも、答えを決めつけてはいけません。
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いちばん重要なことは、「自分が大切な人間である」と思えること
と著者はいいますが、どうしたらそう思えるようになるのでしょうか。
「あるがままでいい」と言ってくれる人がいる、
「役に立っている」ことを認めてくれる人がいるということがあって、
初めてできることでしょう。
この本を読み終えても、モヤモヤ感が残っていました。
問いの答えが見つからないからです。
書き留めていた言葉を整理しながら書いてみたら
すっきるするかもしれないと思い、これを書きました。
しかし、結局すっきりしません。
詩を書いた彼女には支えになる誰かがいたけど、
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「私にはそんな誰かはいないな」と悲観する人がいたら、
自分が「そんな誰か」になることを考えてみてください。
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と、著者は言います。
しかし、どうしたらそう考えられるようになるのでしょうか?
最後の、この本で言いたかったこともそうですが、
その通りなんだけど、どうしたらそういう風に考えられるようになるのかが、
この本から見えなかったことが原因だからなのでしょう。
私としては、想像するしかないですが、
「いのちを大切とは思えない」という人に「いのちの大切さ」を
伝えることはできないのではないかと思えます。
上っ面の言葉では届かないと思えます。
そんな場面に遭遇したら、ひたすら寄り添うしかなさそうです。
その人をなんとかしようとしても、なんともならないのです。
その人のことを思い続ける、信じて待つ、
動きがあれば寄り添い、言葉が出ればひたすら聴くしかない、
そういうことではないかと思えるのです。