『自分が嫌いという病』(泉谷閑示著 幻冬舎新書)から引用します。
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人間存在について「価値」という概念をくっつけるような考え方は、
今日の経済至上主義の風潮の中から出てきた不自然なものであって、
製品でも生産マシーンでもない人間というものについて、
本来はそんな捉え方は必要ないはずです。
常に、「何らかの価値を生み出さなければならない」と考えて、
追い立てられるようにして生きることは、
終わりのない宿題を抱えているような苦しい生き方に違いはありません。
ちょうど、アーティスティック・スイミングの選手が、
水中で絶えず足を動かして体を浮かし、水上で演技しているような状態です。
もちろんあれば短い時間だから可能なのであって、
それをずっと続けることはできません。
しかし、この考えに憑りつかれている人は、もし足を止めたら、
直ちに水中に沈んでしまうかのような危機感を抱いて
日々を暮らしているのです。
はたから見れば、こういう人はとても努力家で何事にも一生懸命、
責任感が強く常に期待以上の成果を出してくれるので、
とても重宝されることも少なくありません。
しかし、本人にしてみれば、
いつも薄氷を踏むような思いで物事をこなしているので、
周囲からの評価を得ても、それがいっときの安堵感にはなっても、
達成感や自信に結びつかないのです。
どこまで頑張ったとしても、必ず上には上がいるもので、
「自分はまだまだだ」ということになってしまい、
キリのない努力を求められます。
私たちの「頭」というコンピューターのような場所は、
そもそもの基本性質として比較したがるところがあるので、
これに支配された状態は、いつでも安心した状態が訪れないのです。
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現代に生きる人たちには、どうも存在意義や存在価値が必要なようです。
ネットで、こういうものを見つけました。
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自分の存在意義や存在価値を見出していくための4つのヒントを用意しました。
これらの問いに少しでも引っかかる答えが見つかれば、
そこにあなたの存在意義が潜んでいるかもしれません。
ぜひそこに食らいつき探ってみてください。
存在意義や存在価値は多くの場合、自らで選び取り獲得していくものです。
- 私は誰に(何に)貢献できるのか?
(例)子供たちのために、勝利のために、仲間のために、地球のために、
愛する人のために、芸術のために、会社の未来のために・・
- 私はそこに何をもたらすことができるのか?
(例)笑顔を、調和を、希望を、規律を、活気を、
対話のある文化を、新たな視点を・・
- そこで私にできる役割はあるか?
(例)リーダー、ムードメーカー、応援団、縁の下の力持ち、管理人、
アイデアマン、調停役、教える人、先頭を走る人・・
- 私を必要としてくれる場所(人)はどこか?
(例)仕事、学校、家族、ボランティア、特定の集団、特定の個人、
ペット、特定の課題や問題・・
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「存在意義や存在価値は多くの場合、自らで選び取り獲得していくものです」
世の中には、それができない人も少なからずいると思います。
私の身近にもいるからです。
では、そんな人には、存在意義も存在価値もないのでしょうか?
人を「存在意義」「存在価値」で、見るとどうなるのでしょう?
それが現れたのが、「やまゆり園事件」ですが、
そこまで大きくなくても、人間の尊厳が損なわれてしまうのです。
自分の存在意義や存在価値を見出そうと頑張れる人は、
終わりのないアーティステック・スイミングが強いられます。
無理は続かないので、いつかは沈んでしまいます。
よしんば、それに耐え成功できたとしても、
その先に、心の安らぎや幸せはあるのでしょうか?
頑張れない人は、そもそも水に入ることすらできません。
いまはそんな時代です。
これは、田坂広志さんの講演会の言葉からすれば、
人類は、まだ人類の歴史の中で「幼少期」にあるということです。
はやく、人類の本来の歴史を創っていかなければなりません。
尊厳は、
- 生まれながらにしてすべての人に備わっている価値
- 人種、性別、年齢、国籍、障がいの有無にかかわらず、誰もが持っている
ものだからです。
すなわち、「存在」そのものが「価値」なのです。
もう一つ言えば、私くらいの年齢になると、
やっていることが、また日々の生活が、
「楽しい」かどうか、「心の安らぎ」があるかどうか、
それが「価値観」になります。
だから、私がよく使うのは、「健やか」「心豊か」という言葉です。

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。