【名も知れぬ虫の独り言】生きがいについての3フレーズ

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昨日のブログに書いたのは、

「私たちは「虚構の社会」に生き、本質とは違うことで、

右往左往して苦しんでいるのではないかということです。

そうではない社会をイメージしながら、次のブログを書こうと思っています。」

でしたが、昨日の読書会に出て、気が変わりました。

読書会では、神谷美恵子著『生きがいについて』をゆるゆる読んでいますが、

そこに書かれていた印象に残った文章から、まずは考えてみたいと思います。

 

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昨日読んだ、第三章「生きがいを求める心」には、

さまざまな欲求について書かれています。

「生存充実感」「変化」「未来性」「(対人的)反響」

「自由」「自己実現」「意味と価値」への欲求です。

そこからいくつか、心に残った文章を書きだしてみます。

 

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変化や発展というものは、たえず旅行や探検に出たり、

新しい流行を追ったりしなくてはえられないものであろうか。

決してそうではない。

ほんとうは、おどろきの材料は私たちの身近にみちみちている。

少し心をしずめ、

心の眼をくもらせている習俗や実利的配慮のちりを払いさえすれば、

私たちをとりまく自然界も人間界も、たちまちその相貌を変え、

珍しいものをたくさんみせてくれる。

自分や他人の心のなかにあるものも、

つきぬおもしろさのある風景を示してくれる。

わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくとも、

じっと眺める眼、こまかく感じる心さえあれば、

一生同じところで静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。

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私には、ここに書かれていることがよくわかるし、実感しています。

じっと眺める眼、こまかく感じる心さえあれば、こんなふうに、

何の変哲もない道端に、小さな命の美しい姿が見えてきます。

【好きをする時間】お散歩クローズアップ写真&道端花図鑑(9) - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

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多くのひとは、子孫とか民族国家とか文化社会、

人類の進歩や発展に夢を託し、それらの大きな流れのなかに、

その一部としての自己の未来性を感じ、それを支えに生きていく。

人類滅亡の危険にさらされている現代では、

そうした未来性への欲求がどれほどまでに、はばまれていることであろうか。

そこに、現代における生きがいの問題の大きな困難の一つがある。

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ここ「人類滅亡の危険」という言葉が出てきます。

この本は、2004年の初版ですが、1988年刊行の『生きがいについて』に

新たに「生きがいについての執筆日記」「解説」を付したもの、

本文部分は「神谷恵美子著作集Ⅰ生きがいについて」(1980年)を底本とした、

となっています。

 

20世紀半ば過ぎには、この本が書かれ、内容は更新されたとしても、

それは1980年までには記述されているはずなのです。

そんな時期に、人類滅亡の危機を感じていた人がいるわけです。

それから少なくとも40年たったいま、

その危機は、取り返せないほど大きくなってしまったのではないでしょうか。

 

天から送られたその最後通牒が、

「新型コロナウイルスのパンデミック」ではないかと、

私には思えてなりません。

社会全体として、まだそれに気づいていないと感じています。

未来性をはばむものが現存しています。

一方で、早くからそれに気づき、

すでに行動を起こしている人たちがたくさんいるのも事実です。

 

このフレーズに書かれているこの言葉、

  • 「未来性の欲求をはばむもの」
  • 「現代における生きがいの問題の大きな困難の一つ」

を見て出てきたのは、

  • お金中心の社会・経済最優先の社会
  • 権力は既得権益を守るために奔走し、国民が顧みられない政治となっている

そして、思うことがあります。

  • 現代社会において、いったい誰が幸せを感じているのだろうか?
  • 今の政府高官の人たちは、何を生きがいとしているのだろうか?

 

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時には、他人を憎むことや、うらむことや、

他人に復讐することに生きがいを見いしているように見えるひとがある。

(中略)

よく眺めてみると、そういうひとの心の底にもやはり、

他人とのあたたかい心の交流を求める気持ちが

烈しく渦を巻いていることが多い。

その欲求が不当にもみたされないと感じるからこそ、

あらあらしい憎悪で反応しているのにすぎないようにみえる。

ゆえにこれも(対人的)反響への欲求の一変形とみられるのである。

その他、支配欲や権勢欲の強いひとでは、

大ぜいのひとが自分の命令ひとつで動くのをみて、

そういう形で自分の存在への反響をたしかめ、

壮快な生きがいを感じるのであろう。

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いま、世の中には、社会や人に対して、

制御できないくらいの恨みを抱いている人たちがいるるようです。

それが、京都アニメ放火や、新幹線の殺傷事件、

最近の硫酸事件の犯人のような形で現れているのでしょう。

児童虐待も増えていて、いったいどうしたらいいんだろうと感じてしまいます。

 

いまを嘆いてもしかたがありません。

これまでの「分断社会」を「つながり社会」にしていく必要があります。

その芽はあちこちで生まれており、それは、つながって生きるコミュニティ。

これからの時代は、「コミュニティ」の時代だと固く信じています。

コロナ禍で明らかになったのは、公助をあてにすることはできないということ。

自助と共助をいかに深め、広げていくか、それがコミュニティだと思っています。

認め合いつながっていく社会、

このあとのブログでは、そちらに目を向けていきたいと思っています。