Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(145) 誰のための子育て?

『河合隼雄の幸福論』(河合隼雄著 PHP文庫)からこの内容を、

味わいことばノートとして書き出しました。

味わいことばノート 169 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

ここにはこういう言葉がありました。

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親は、本当に子どもの幸福のためにか、自分自身の幸福のためにか、

どちらのために子育てをしているのかわからなくなってくる。

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親が主語なので、私には、ちょっと違和感があります。

「親』を「傍から見ていると』に替えるとすんなりくるのですが、...。

そもそも親が、どちらかわからなくなることはないでしょう。

親は、ほぼ必ず、子どものためと思って子育てしているはずです。

実際には、それが自分のためだということであっても、

それが認知できないからこそ問題なんだと思います。

 

この本に、こんなお話があります。

河合氏が、相談を受けた大学生の物語です。

 

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小学校の頃から優等生で、両親とも非常に大事にしてくれた。

勉強が好きなので、よく勉強したし、よい成績をとると親が喜ぶ、

先生もほめてくれる、というので、

勉強ばっかりしているというような感じだった。

両親とも学歴のない人だったので、すっかり喜んで、

「この子のおかげで自分たちの老後も安心できる」と言っていた。

自分も一生懸命勉強して偉くなり、両親が大事にしてくれたように、

両親が年をとるころには、自分が大事にしてあげなくては、と思っていた。

 

大学に入って様子が変わった。

高校のときには、何をすべきかがはっきりと決まっており、

その結果は模擬試験の点数として明確に示された。

それが彼の自信となってきた。

ところが大学というところは何をしていいのかはっきりしない。

別に試験がそれほどあるわけでもない。

同級生は適当にクラブに入って、楽しそうにしているが、

自分は勉強以外に趣味などないのだ。

そのうちに、何ともわけのわからない不安に落ちていくようになった。

足元がぐらぐらとして奈落に落ちていくような不安。

 

考えてみると、自分は「優等生」というので喜んできたが、

それは教師や親が言うので、ただそれに合わせて生きてきただけで、

「自分のもの」といえるもの、あるいは「これが私だ」といえるものは、

何一つも持っていないのではないかと思えてきた。

そうなると一挙に、自信を喪失し、何がなだかわからなくなって、

大学へ出てゆく気がしなくなり、

自分が生きているのか死んでいるのかわからないほどになった。

以後、彼の苦しみは続き、留年に留年を重ねた。

 

弟は、反対に勉強嫌いで遊んでばかり、成績は下の方であった。

それでも両親は、「兄がしっかりしているから」と、

兄に頼ればいい、という感じで、弟の方は放任されて育った。

弟は好き勝手に育ち、商業高校に進み、卒業後はすぐに就職した。

親は弟がどこに行こうが気にかけず、

ひたすら兄の進学のことを心配していたが、

兄は期待に応えて、一流大学に現役で入った。

弟は一本立ちして、商売をはじめ、それが大当たりして、

若いのに家を建てて、両親と一緒に暮らしているという。

 

兄は、「先生、どちらがいい子でしょうか。両親はいつもいつも、

兄はえらいが弟は駄目だ、といっていましたが」といった。

 

私は、この問いかけに対して、次のように答えた。

二人の兄弟がどちらがいい子と考えて、

いま弟はよくお金をもうけて、

両親までに来とって暮らしている、兄の方は、ただお金をを使うだけで、

何もせずにぶらぶらして暮らしている、

だから、弟は「よい」が、兄は「わるい」と断定されたら、

それは兄弟が子どもだったころに、成績だけで判断を下して、

両親が、兄は「よい」が弟は「わるい」と考えていたのと

同じ誤りを犯すことになるのではなかろうか。

 

兄が子どもの頃、両親の注意がそちらに集中したので、

かえって弟はのびのびと育ってよかったかもしれない。

「よい」「わるい」などと考えても、わからないことだから、

そんなことにはこだわらずに、

ともかく、自分らしい生き方を探し出すより仕方がないのではないか。

だから、いまは焦らずに、ぶらぶらしていたら、

何かが心のなかから出てくるはずである。

なにも無理に「よい」弟のまねなどする必要はない。

ボチボチといきましょう。

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あえて書く必要もないですが、

これは明らかに、子どものための子育てではなく、

自分のための子育てといえるでしょう。

親はそれに気づいていません。

しかし、結果は皮肉です。

わが身の将来の安泰というホンネから、たまたま勉強のできた兄に対して、

期待をかけすぎて、親の意思でコントロールすることになってしまった、

すなわち、学業重視の「わるい」子育てをしたことで、弟には、結果的に、

本人のやりたいことをさせる「よい」子育てになってしまった、

その結果として、自分たちの老後も安泰となったということなのでしょう。

 

長丁場の夏休みの放課後子ども教室は、とってもにぎわっています。

朝から夕方まで、騒音レベル100dbの中にいると言っても過言ではありません。

子どもってすごいなと思います。

掛け値なく、心から楽しんで遊びます。

そこで、本物の笑顔を見せます。

ただ、子どもたちそれぞれにタイプがあり、

超騒ぎながら友達と遊ぶ子もいれば、

黙々と一人、ないしは仲良しの二人でずっと遊ぶ子もいます。

「いい」も「わるい」もありません。

 

タイプは人それぞれですが、そんな子どもそれぞれの笑顔を大事にする子育て、

すなわち、その子の「やりたい」を大切にすることは、

親にとって、そして子どもにかかわる大人にとって、

それ以上もない以下もない、忘れてはいけないことだと思います。

 

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写真に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

手元にあった写真を適当に貼っています。