『河合隼雄の幸福論』(河合隼雄著 PHP文庫)からこの内容を、
味わいことばノートとして書き出しました。
味わいことばノート 169 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
ここにはこういう言葉がありました。
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親は、本当に子どもの幸福のためにか、自分自身の幸福のためにか、
どちらのために子育てをしているのかわからなくなってくる。
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親が主語なので、私には、ちょっと違和感があります。
「親』を「傍から見ていると』に替えるとすんなりくるのですが、...。
そもそも親が、どちらかわからなくなることはないでしょう。
親は、ほぼ必ず、子どものためと思って子育てしているはずです。
実際には、それが自分のためだということであっても、
それが認知できないからこそ問題なんだと思います。
この本に、こんなお話があります。
河合氏が、相談を受けた大学生の物語です。
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小学校の頃から優等生で、両親とも非常に大事にしてくれた。
勉強が好きなので、よく勉強したし、よい成績をとると親が喜ぶ、
先生もほめてくれる、というので、
勉強ばっかりしているというような感じだった。
両親とも学歴のない人だったので、すっかり喜んで、
「この子のおかげで自分たちの老後も安心できる」と言っていた。
自分も一生懸命勉強して偉くなり、両親が大事にしてくれたように、
両親が年をとるころには、自分が大事にしてあげなくては、と思っていた。
大学に入って様子が変わった。
高校のときには、何をすべきかがはっきりと決まっており、
その結果は模擬試験の点数として明確に示された。
それが彼の自信となってきた。
ところが大学というところは何をしていいのかはっきりしない。
別に試験がそれほどあるわけでもない。
同級生は適当にクラブに入って、楽しそうにしているが、
自分は勉強以外に趣味などないのだ。
そのうちに、何ともわけのわからない不安に落ちていくようになった。
足元がぐらぐらとして奈落に落ちていくような不安。
考えてみると、自分は「優等生」というので喜んできたが、
それは教師や親が言うので、ただそれに合わせて生きてきただけで、
「自分のもの」といえるもの、あるいは「これが私だ」といえるものは、
何一つも持っていないのではないかと思えてきた。
そうなると一挙に、自信を喪失し、何がなだかわからなくなって、
大学へ出てゆく気がしなくなり、
自分が生きているのか死んでいるのかわからないほどになった。
以後、彼の苦しみは続き、留年に留年を重ねた。
弟は、反対に勉強嫌いで遊んでばかり、成績は下の方であった。
それでも両親は、「兄がしっかりしているから」と、
兄に頼ればいい、という感じで、弟の方は放任されて育った。
弟は好き勝手に育ち、商業高校に進み、卒業後はすぐに就職した。
親は弟がどこに行こうが気にかけず、
ひたすら兄の進学のことを心配していたが、
兄は期待に応えて、一流大学に現役で入った。
弟は一本立ちして、商売をはじめ、それが大当たりして、
若いのに家を建てて、両親と一緒に暮らしているという。
兄は、「先生、どちらがいい子でしょうか。両親はいつもいつも、
兄はえらいが弟は駄目だ、といっていましたが」といった。
私は、この問いかけに対して、次のように答えた。
二人の兄弟がどちらがいい子と考えて、
いま弟はよくお金をもうけて、
両親までに来とって暮らしている、兄の方は、ただお金をを使うだけで、
何もせずにぶらぶらして暮らしている、
だから、弟は「よい」が、兄は「わるい」と断定されたら、
それは兄弟が子どもだったころに、成績だけで判断を下して、
両親が、兄は「よい」が弟は「わるい」と考えていたのと
同じ誤りを犯すことになるのではなかろうか。
兄が子どもの頃、両親の注意がそちらに集中したので、
かえって弟はのびのびと育ってよかったかもしれない。
「よい」「わるい」などと考えても、わからないことだから、
そんなことにはこだわらずに、
ともかく、自分らしい生き方を探し出すより仕方がないのではないか。
だから、いまは焦らずに、ぶらぶらしていたら、
何かが心のなかから出てくるはずである。
なにも無理に「よい」弟のまねなどする必要はない。
ボチボチといきましょう。
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あえて書く必要もないですが、
これは明らかに、子どものための子育てではなく、
自分のための子育てといえるでしょう。
親はそれに気づいていません。
しかし、結果は皮肉です。
わが身の将来の安泰というホンネから、たまたま勉強のできた兄に対して、
期待をかけすぎて、親の意思でコントロールすることになってしまった、
すなわち、学業重視の「わるい」子育てをしたことで、弟には、結果的に、
本人のやりたいことをさせる「よい」子育てになってしまった、
その結果として、自分たちの老後も安泰となったということなのでしょう。
長丁場の夏休みの放課後子ども教室は、とってもにぎわっています。
朝から夕方まで、騒音レベル100dbの中にいると言っても過言ではありません。
子どもってすごいなと思います。
掛け値なく、心から楽しんで遊びます。
そこで、本物の笑顔を見せます。
ただ、子どもたちそれぞれにタイプがあり、
超騒ぎながら友達と遊ぶ子もいれば、
黙々と一人、ないしは仲良しの二人でずっと遊ぶ子もいます。
「いい」も「わるい」もありません。
タイプは人それぞれですが、そんな子どもそれぞれの笑顔を大事にする子育て、
すなわち、その子の「やりたい」を大切にすることは、
親にとって、そして子どもにかかわる大人にとって、
それ以上もない以下もない、忘れてはいけないことだと思います。

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。