【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(4) 子の成長、そして親の成長

『「叱らない」が子どもを苦しめる』

(薮下遊 高坂康雅著 ちくまプリマー新書)より

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親子関係は、大人になるまでの間に、5つの段階に分けられる。

  1. 親が子を手の届く範囲に置く段階: 乳児期(1歳くらいまで)
  2. 親が子を目(あるいは声)の届く範囲に置く段階: 幼児期(1歳から小学校に入る前まで)
  3. 親が子を信じ期待する段階: 小学校時代
  4. 親が子と距離をとり、子の判断に任せる段階: 中学生から大学生
  5. 親と子が対等になる段階: 大学生以降

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これは子どもの発達段階だけど、親はそれについていけないようです。

 

反抗期はなぜ起きるのでしょうか?

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歩けるようになった子どもは親に抱えられる必要はなく、

自分で歩いて行動できるようになっているが、

親はまだ子どもを自分の手の届く範囲に置こうとする①の段階にとどまっていて、

そのために子を抱きかかえてしまう。

このズレがあるので、子は親の手から離れようとしてバタバタ暴れる。

中学生や高校生になると、4の段階に入る。

しかし、親は2の段階にとどまっている。

「勉強しなさい」「早く帰ってきなさい」「XX大学のほうがいい」

など口出しをする。

このズレが反抗期を生む。

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反抗期がないといけないかというとそうでもないようです。

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反抗期があることない子は、半々くらいというデータがある。

そもそも、ズレがなければ、反抗期はないということになる。

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だからです。

 

このズレがなければ、子どもは体の発育に合わせて自我が育っていきます。

自分のやりたいことや好きが体得できます。

自分を内面から見ることができるようになります。

また、ズレがあっても反抗期があれば、自我が育っていきます。

と、私は理解します。

 

しかし、この本によれば、

よくないパターンの「反抗期がない」があるのです。

「親子そろって年齢にそぐわない低い段階にとどまっている」場合です。

たとえば、高校生になっても、

毎日学校に持っていく道具や修学旅行の荷物を親がすべて用意する、

といったケースです。

 

アルフレッド・アドラーによれば、

対人関係の悩みや問題を生む一つの要因である

「課題の分離」ができていないことに当たります。

アドラーの答えは明確で、

「そのことによって困るのは誰か?」の問いの答えは、

修学旅行で忘れ物をした本人です。

だから、子どもの課題に干渉するのはやめないといけません。

子どもの責任を親が負ってしまうと、

結果として子どもは自分の言動に対して無責任になってしまうのです。

 

親の押しつけに反抗しない子は、親からすれば「いい子」ですね。

親が先回りしてお膳立てをしてくれて、

何か不都合があったときに、親の責任だという子がいたとしたら、

そんな子が大人になったら、どうなってしまうのでしょうか?

 

いま変な世の中になっていますね。

それは逆に言えば、正常化する前の過渡期ともいえるかもしれません。

ほめて育てるのがいいと言えば、叱ってはいけないような風潮になります。

正直、頭で考えすぎなんだと思います。

親も子どもそれぞれ違うのだから、共通する正解なんてないわけです。

そして、大人も子どもも生身の人間だから、

人間らしく、時には、イライラし、感情もぶちまけながら、

そして、その都度反省しながらやっていけばいいのではないかと思います。

お互いのことを思いやっている、

相手を、一人の人格として認めるということを、

根本に持ちながらですけれど。

 

そうやって、子も親も成長していくものだと思います。

子どもは人生の初心者です。

親は子育ての初心者なのですから。