【学びと感じる時間】いまのSolにとって一番大事なこと

放課後子ども教室「けやきッズ」は今年が3年目ですが、いま一番大変です。

他の学校と比べても参加児童数が多めのけやきッズですが、

今年はさらに3~5割も多くなっています。

そんな中、スタッフ一人が体調不良でお休み中、補充もまだ効かず、

スタッフは最少人数で回しています。

昨日は46人の参加がありました。

普段は、4人のスタッフで見ていますが、都合がつかず昨日は3人でした。

本来は、これだけ来れば、5人は必要ですが、今はそうはいきません。

 

これまでの2年間は、圧倒的に女子の参加者が多く、

こましゃくれてはいるものの比較的穏やかに回っていました。

しかし今年の1年生、3分の2以上が男子で連日圧倒的に男子優位の状況です。

平穏な日々は過ぎ去りました。

 

それでも、この写真は、そんなやんちゃな1年生の男子が折ってくれました。

この子がおりがみするんだ!と、ちょっと驚きでした。

 

ちょうどこのを読みました。

読み返して考えてみたい本だと思ったので、
蔵書として購入することにしました。
 

 

この本から、FacebookのSol Cafeページで、この内容をシェアしました。

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子どもにとっての「いい親」じゃなくて、
他人から見た「すごい親」になろうとしちゃうんですよね。
「こんな誕生会を開いてあげました」
「こんなところに連れて行ってあげました」
「こんな学校に入れました」
ってことを親としてのステータスにしようとしてしまう。
そのうえ、趣味も生きがいももって、
インスタにかわいいお弁当の写真をあげなくちゃ
なんて思ったら無理ですね」(鷗友・大内先生)
 
「すごい親」にとっては、
子どもすら自己表現のための作品になってしまいます。
でも「いい親」は違う。
 
むしろ、子どもが「いいな!」って思うことに
「いいね!」って言ってあげられる親。
それが「いい親」なのかな。(鴎友・大内先生)
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この投稿に、「いい親」「いい親じゃない親」ってあるのだろうか?
というもので、本人の経験を踏まえた共感できるものでした。
「いい親」だからできる問いと想いでした。
 
私は、「いい親」「いい親じゃない親」はあると思っています。
私が「いい親」とそうでない親がいると思ったわけは、
最後に書かれていた内容を読んだからです。
長いですが、要約だと伝わらないかもしれないので、すべて引用します。
 
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大事なのは、子どもをしっかり見てあげることだと、
先生たちは口をそろえていました。
ただ、視界の中に見ているだけではダメです。
子どもが何に対し、どんな関心を寄せて、
いまどんなふうに心が動いているのかを見るのです。
 
たとえば、幼児が公園で遊んでいて小さなイモムシを見つけたとします。
すると子どもの目が一瞬輝きます。
その瞬間のその表情を見逃さないでほしいのです。
さらに子どもが、その感情を親に伝えたいとき、必ず一瞬親のほうを見ます。
そのときに、子どもの感動に共感しながら、
アイコンタクトを返してあげてはほしいのです。
「ママ(パパ)見て!」と声をかけられれば、
「よく見つけたね」とか「かわいいね」と返事してあげてもいいでしょう。
でも、感情のこもったアイコンタクトだけでも十分です。
あえて言葉にしない方がいいときもある。
 
そんなとき、スマホをのぞき込んで、
芸能人のインスタに「いいね」なんてしている場合じゃありません。
目の前の子どもにリアル「いいね」を出してあげてほしいのです。
そうすると、子どもの好奇心は励まされ、
どんどん知的欲求が豊かになり、自分の感覚にも自信が持てるようになります。
 
幼児期にかぎったことではありません。
思春期になっても同じです。
普段はぶっきらぼうに「ほっといてよ」などと言ってもいても、
よく見ていると、多感な時期の子どもがときどき,
何気ない会話をしながら目を輝かせてこちらを見ることがあります。
表面的なことばの奥に、本当は何か親に知ってほしいことがあるんです。
何気ない話だと思っても、目を見て興味をもって聞いていると、
そのうち本当に伝えたかったことを話し始めます。
何かに感動したことや何かを発見したこと、
それを親とも共有したいと思ってくれているのです。
 
そのチャンスを逃してはいけない。
私自身がそう思うようになったのは、本書に出てくるような優れた先生たちが、
そういうチャンスを見逃さない点で共通していると気づいたからです。
先生たちは、実は生徒の「やる気」に火をつけているのではなくて、
生徒が本人すら自覚できない小さな小さなやる気のタネを発芽させたとき、
それを見逃さず、そこに光を当て、
その芽が育つのを温かく見守ることができるのです。
それって教育の神髄じゃないかと思います。
 
小さな小さなやる気は、
子どもがいくつになっても心の中でかなり頻繁に芽吹いています。
それに気づいてあげるチャンスは、いくつになってもいくらでもあります。
まわりのひとたち、特に親という立場のひとがそれに気づいて、
光を当て、温かく見守ってあげてくれればいくつになっても、
おそらく大人になってからでも、人間は伸びて行けます。
 
教育的な観点で親のすべきことって究極的には、たったそれだけじゃないか、
いやそれくらいしかできないのではないかと思うのです。
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これを読んで、Solにとって、Solのライフワークにとって一番大事なことは、
「しっかり見てあげること」だと思いました。
 
その想いをもって臨んだ昨日の「けやきッズ」はイライラでした。
上記のような悪ガキどもが、新聞紙で剣を作るのにセロテープを使い過ぎるので、
勝手に使えないようにすると、次から次にテープを貼ってくれと言ってくる。
いろんな事務作業があるのに何も進まない。
すると、向こうでちゃんばらして、けんかが起こったりする。
特に昨日は、スタッフが一人少なかったので大変でした。
いくら言っても走り回るし、こんな状態では、
しっかり見るってできるわけないな、と思った次第です。
 
それでも、少し落ち着いてから子どもたちを見ていると、面白いのです。
やさしい気持ちで見る状況ではなく「こいつら何とかならんか」と思いますが、
1年生男子はこんなもんなんです。
その瞬間、瞬間で生きています。
でも、そんな彼らにも、それぞれの想いや興味や行動があるんだなと思います。
 
見ていると子どもは一人一人違います。
1年生はお迎えが原則なので、
多くのお母さんやお父さんにも接する機会があります。
中には、首をかしげたくなるお母さんもいたりします。
やはりどうしても、保護者と子どもをつなげて見てしまいます。
 
その親を評価したり批判はできません。
その親にも、そうなる背景があったのでしょう。
でも、子どもはこれからの将来があります。
そのことを思うのです。
 
親にしっかり見てもらえない子どもがいたとすれば、
その親をどうすることもできませんが、
誰かが、その子のことをしっかり見てあげることが必要だと思います。
私たちには、家庭内の様子はわからないので、変な先入観を持つことなく、
子どもたち一人ひとりを見てあげたいです。
放課後子ども教室に来る子たちについては、
それができる立場にあるので、それを大事にしたいです。
 
最初のおりがみですが、他のスタッフに、その子が折ってあげました。
そのあと私にも、折ってほしいかと聞いてきたのです。
正直、もらってもなぁ~と思ったものの、「折ってよ」と言いました。
そして折ってくれました。
その彼が、今日ほかの子のリクエストで描いていたポケモンの絵に興味をもち、
それを写し絵しました。
これもその他の絵も私が描いたというと、すごいと驚いていました。
描いてほしいものがあれば描くよというと、
エバンゲリオンを描いてほしいと言ってきました。
今日明日描いて持って行きます。
 
子どもたちと過ごす時間は、一筋縄ではいきませんが、
こちらも人間として、本音で過ごせる時間でもあります。
 
写し絵したりすると、できたよと見せにくる子が何人もいます。
「すごいね」「よくかけたね」くらいしか言えませんが、
大事なのは、「いいね」という目で見てあげることだと、
改めて、自分の中に落とし込んでいます。