【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(5) 画一化の中で漂う

「いい子」についての散歩道を歩く前に、少し寄り道してみます。

今回は引用なしの、自分自身の思考の散歩道を行きます。

 

『時代が締め出す心』(青木省三著 岩波書店)

この本に書かれている内容で感じることがありました。

  • 今の時代、価値観が画一化している。
  • その価値観になじめなくても、逃げ場がない。

子どもたちは、こんな時代を生きているのではないか、

流されているのではないか、そう思えて仕方がないのです。

画一化の中で漂っているともいえます。

 

高度成長期、一億総中流と言われた時代からはすでに久しいけれど、

そのときに築かれたマインドや学力偏重の傾向は、

今も根強く残っていると感じます。

私が日々接してきたこともたちも、習い事や塾に忙しい毎日を送っています。

 

良い大学に入って、良い会社に入る。

その先には、必ずしも幸せはない、逆に苦しにが待っている、

その事例が数限りなくあっても、マインドは変わっていない、

いや、不安視しながらも、

その道を行かざるを得ないという風潮があるように思えます。

 

※「良い」には多様な「良い」があるはず。

 決して画一化できるものではないはずなのですが....。

 

時代を担っていた第一次産業やものづくりから、

頭脳労働に多くの人が携わるようになってきました。

必ずしも頭脳労働とは言えないかもしれないけれど、

都心のオフィスに行けば、ほぼ全員がパソコンに向かって何やらやっています。

第一次産業やものづくりでは、

人付き合いやコミュニケーションが苦手な人でも、

一人でコツコツと仕事ができました。

しかし、オフィスで働くようになると、

通勤のストレスに挟まれたオフィスでの長い時間は、

会社の縦横の人間関係、接客、取引先とのやり取りなどなど、

気をつかうことばかりです。

週末には疲れて何もできない、そんな毎日、毎週が続いていきます。

 

子どものころから学校のあとに、塾に行ったり、習い事をしたり、

大学を目指したりで、どんな性格の子も、

同じ線路上を走らされているのではないでしょうか。

本来は、第一次産業やものづくりに向いている人でも、

苦手なオフィスワークをやらざるを得なくなっているとしたら、

精神的ストレスは生半可なものではありません。

 

さらに、特に都会では、自然がほとんどないですね。

だから、小さいころに野山で思いっきり遊んだ経験もありません。

これが養老孟司さんの言われる「都市化」の弊害なのでしょう。

田舎育ちの私自身、いま東京に住んでいるので、

特にそう感じてしまうのかもしれません。

その意味でも都市集中はやめて、本当の意味(特性を生かし、

同じように都市化するのではない)地方の活性化が必要です。

いろいろと考えても、これからの時代、

コミュニティの必要性、重要性に行きつきます。

 

時間には、「直線の時間」と「循環する時間」があります。

<Tip & Episode> 「循環する時間」と「自然の営み」 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

この「直線の時間」と「選抜社会」は終わりを迎えつつあるのでしょう。

<Tip & Episode> 「直線の時間」と「選抜社会」と - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

この写真、今日職場に行く途中で撮ったものです。

過去・現在・未来が共存していると思えた道端の小さな自然でした。