『いつもの言葉を哲学する』(吉田徹也著 朝日新書)の言葉は、
味わいことばノートにも引用しましたが、ここから、「謝る」ということを、
3回くらいに分けて学び、考えていきます。
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謝罪するということを子どもに教えるのは難しい。
何か悪さをした子どもを叱りながら、
「そういうときは ” ごめんなさい ” と言うんだよ」と教えることを繰り返す。
すると子どもはやがて、「ごめんなさい」と言うことはできるようになる。
けれども今度は、
場を取り繕おうと「ごめんなさい、ごめんなさい、....」と言い続けたり、
「もう、ごめんなさいと言ったよ!」と逆ギレをし始めたりする。
「違う違う! ただ ” ごめんなさい ” と言えばいいってもんじゃないんだよ」---
そういった後の説明が本当に難しい。
謝罪というのは必ずしも、
たんに ” ごめんなさい ” と言ったり、頭を下げたりしただけでは終わらない。
「すみません」ではすまないのだ。
では、どうすれば謝ったことになるのだろうか。
声や態度に出すだけではなく、ちゃんと申し訳ないと思うことだろうか。
しかし、 ” 申し訳ないと思う ” とはどういうことなのだろうか。
そして思うだけで果たしてよいのだろうか。
結局のところ、「謝る」とは何をすることなのだろうか。
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これは、本当に難しい。
私自身、本当に誤ったことがあるのか?といわれると、
した記憶がないと答えざるをえません。
「謝る」とはどういうことなのか?
ネットで見ると、これがありました。
謝罪論―謝るとは何をすることなのか|古田徹也|「謝る」という行為をとことん掘り下げる|空色書店
図書館にあったので、借りて読んでみることにしました。
こと子どもに関しては、どのように対応すればいいのか?
これは、さらに難しいのです。
私も含めた大人の多くが、「謝る」ということが肚に落ちていないからでしょう。
子どものケンカや悪さを、謝らせて終わりにする、
ということには強い抵抗感があります。
「ごめんなさい」と言いなさい、というのは、
心情的には、間違いだと思っています。
そもそも、「謝らせる」なんて、おかしな言葉です。
「表面を取り繕わせる」、そう言い換えてもいいくらいです。
子どもの多くは、自分が悪いと思っていないのに、
口だけで、「ごめんなさい」といっても、上記のような結果を招くだけでしょう。
長い年月かけて学んでいくことを、その場で片付けようとしても無理です。
では、どうすればよいのかがわかりません。
ケンカの場合は、両方の言い分を聞こうとしますが、
小学校低学年だと、言葉で説明する能力が伴っていないので、要領を得ません。
すべてが感覚的なものだから、しかたがないでしょう。
だから、心情的にやりたくなくても、場の雰囲気で判断して、
「ごめんなさい」で終わらせることになったりします。
悪いことをした場合、それがどういうことかを話ししても、
その場で納得するケースはまれでしょう。
結局、うわべの「ごめんなさい」で終わってしまいます。
最近、2年生の女子たちが、「悪いやつら」ふうになってきて、
それを見ていると、いくら言っても納得するはずないよなと思ってしまいます。
彼女らだけでなく、2年生になると、だんだん悪くなるというか、
自己中になっていくなと、ここ何年も感じています。
たぶん、誰もが通って行く道なのだと思います。
そこに目くじら立てすぎてはいけないのですが、
一緒に働いている人たちは、その点は結構おおらかで助かっています。
ケンカの場合は、離して落ち着かせるほかないように思います。
落ち着くと、さっきのは何だったんだ、と思えるくらい仲よく遊び始めます。
悪さの場合は、誤らなくても、それがどういう意味をもつのかを、
本人がちょっとでも気にするような対応のしかたが必要です。
どうしても叱りつけるようになってしまいがちです。
これ、なんとも難しいのです。
河合隼雄さんふうに言えば、ほんとうに「むつかしい」んです。
そこに正解はないと思います。
大人も人間、子どもも人間なのだから、
大人が生身の人間として接するほかないでしょう。
失敗したなと思っても、それもまたありでしょう。
一つ思うのは、何かあったとき、「解決しなければ」と思わないことです。
何もしなくても、その場に在って見るということができれば、
それがベストなのかもしれません。
こうやって、読んで書きながら思考を巡らすことで、
日々のあり方にも影響するのではないかと思ってやっています。
おおたとしまさオンラインサロンでは、「体験格差」がホットなテーマですが、
多くの同学年やほかの学年と接して喜び、葛藤する、
学校の先生とは違う遊ぶ場所の大人と接して、ほめられ、叱られる、
このようなこそ、子どもの貴重な体験ではないかと思えます。
つづく

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。