Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(126) 子どもの体験③ 「遊び」の「教育化」

『子どもの体験 学びと格差』(おおたとしまさ著 文春新書)には、

いろんな人の言葉が紹介されています。

以下にそれを列挙します。

 

2024年8月 SNSでたくさんの「いいね」がついたお母さんのつぶやき

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あれもこれもと体験系をやらせ、あちこち旅行に連れまわした結果、

上の子は経験に耐性ができてしまったように見える。

私が子どもの頃に味わった、価値観が変えられる体験の数々が、

彼にとっては風景になっている。

彼から感動の機会を奪ったいるのは、私なのかもしれない。

豊かってたぶんそういうことだ。

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ある教師の言葉

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いまの子どもたちには、根拠のない自信とか、

自分への無条件の信頼みたいなものが弱い気がします。

いろいろと強いられて、常にどんな体験をしたか、成功できたのか、

能力はあるのか、を問われているからかもしれません。

あれもこれも詰め込んだ結果、何も得られないどころか、

本来持っていた子どのの輝きが損なわれてしまうことすらあります。

 

「本人の意志で通わせています」という親御さんは多いですが、

子どもは、親の期待を簡単に内面化してしまうので、

やらされている習い事も「楽しい、行きたい」と言います。

子どもの言葉は、たくさんの習い事をやらせる根拠にはなりません。

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遊びの教育化が起こっているようです。

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日本体育大学教授 「子どものからだと心連絡会議」議長 野井真吾さんが

2024年10月東洋経済オンラインで配信された記事で、

野井さんは「教育の遊び化」が必要だと訴えている。

しかし、現代社会では、それとは逆に、

遊びまでもが非認知能力を獲得するための教育手段とみなされ、

子どもたちにどんな遊びをさせるべきかという不気味な議論すら聞こえてくる。

いわば、「遊びの教育化」だ。

遊びの延長線上に体験が置かれている。

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東洋経済オンラインの記事はこれだと思います。

子どものからだと心がおかしい、大脳「前頭葉」機能の不活発が増えている理由 本来の意味での「子ども時代」がなくなっている | 東洋経済education×ICT

 

この中にあるこれ、いいなと思います。

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校庭が森になれば、日陰がたくさんできますから、

熱中症アラートが出ても外遊びを禁止しなくて済みますし、

地球の温暖化にも多少貢献できます。

サッカーや野球は別の場所を確保し、

運動会は、地域の競技場を借りて開催する。

今、私たち大人には、このくらいの大胆な発想の転換が必要だと思います。

私たちはもっと、遊びの可能性に思いをはせるべきなのではないでしょうか。

「そんなの無理だよ」と最初からあきらめるのではなく、

走りながら考えることが大切だと思います。

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ドイツ時代に、娘と息子が通った幼稚園は森の中にありました。

とっても素敵な幼稚園でした。

ドイツでは、そこら中に森があって、

真冬でも、夫婦でゆっくりとお散歩している姿がありました。

 

NPO法人「もあなキッズ自然学校」理事長

横浜で「森のようちえん」運営 関山隆一さんの言葉

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裏山に秘密基地をつくったり、家でお手伝いを頼まれたりするなかで、

結果として身についたものを、

便宜上、非認知能力といっていいはずなのに、

いまや、その新しい能力を手に入れるための手段として、

「遊び」や「体験」が利用されるようになってしまいました。

森のようちえんもその手段の一つとして見られてしまうことがあります。

でも本来は、生活のなかに遊びがあり、

そのなかに学びがあるのが当たり前でした。

遊びと学びを生活の中に戻していくのが、

森のようちえんなんだと思います。

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本来、結果であるべきものが、手段化し、それにとどまらず目的化している、

というか、その方向に持って行こうとしている人が多すぎるように思えます。

 

「遊び」と「学び」は混然一体となったものでした。

しかし、学校ができて、そうではなくなってしまったのです。

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学校ができたことで、体験と勉強が区別されることになった。

「学び=学校の勉強+体験」ないしは 「体験=学びー学校の勉強」

「生きる力=認知能力+非認知能力」とも表現できる。

 

「体験」に将来の ” 成功 ” のために必要な非認知能力の獲得、

という達成目標が設定されることで、

体験を通した学びまでもが、学校の勉強と同列のものにされようとしている。

このままでは、体験を通した学びからも躍動感と喜びが奪われる。

それはすなわち、

子どもたちのあらゆる学びから喜びが奪われることを意味する。

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子どもの仕事は「勉強」だとよく言われたものです。

でもそうじゃないですよね。

子どもの仕事は「遊び」でしょ。

 

しかし、「仕事」はつらいもの、という大人がいる限り、

子どもの仕事は「勉強」でいいのかもしれません。

勉強は、だいたいにおいていやいや、

あるいは、しかたなくやるものだからです。

 

でもね、子どもがやりたいのは「遊び」なんです。

「遊び」という言い方も「勉強」の対極にあるように思えます。

そうであれば、子どもがやりたいのは、

「いまやりたい!」と思うことですね。

 

残念ながら、多くの大人からは、

「いまやりたい」が失われてしまっているように思えます。

 

写真に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

手元にあった写真を適当に貼っています。