幸いにも、私が通う学校は、「いい学校」です。
考え方がいいのと、それを実践しているように思えるからです。
学校の目指す姿: 「Well-Being溢れる学校 ~みんなの「たい」を大切に~」
- 子どものWill-Being: やりたいことを見つけ、行動できる子ども
- 教師のWell-Being: 子どもの「たい」を引き出し、全力で応援できる教師
- 保護者・地域のWell-Being: 保護者や地域の「たい」に応える学校
私は、そんな学校で、毎日、業務日誌他の様々な事務仕事をしながら、
子どもたちを見守っています。
それ以外に、個人的に、スタッフともシェアしたいために、
「気づきノート」を書いています。
できるだけ、個人情報は入れず、悪いところも書かず、
客観的な事実やよいところ、成長がみられるところを書くようにしています。
以下は、ここ一週間の「気づきノート」を膨らませた物語です。
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連日多くやってくる今年の1年生、それが、みんなおりこうさんばかり。
一度伝えると、自主的に上履きをそろえ、手洗いし、ランドセルを片付ける。
入室の手続きのあとは、思い思いの遊びを始める。
絵を描く紙やおりがみをもらいに来ると、「紙をください」が言えるし、
もらったら「ありがとうございました」もみんなが言う。
毎年、元気があり余って、騒いだり、ちょっかいを出したり、
取っ組み合いをしたりする子がいるものだが、、今年はいない。
そんな中でも、ちょろちょろする子はいるし、支援学級に通う子もいる。
私がお休みした先週金曜日、一番ちょろちょろするA男と
支援学級のB男との間で、トラブルがあったらしい。
A男は、小さめのブロックで恐竜などをつくるのが好きで、
できたものを大事にして、遊んでいる。
それを、B男が悪気はないものの壊してしまい、
A男が切れて、大泣きして廊下に出たりと暴れたそうだった。
それに近いことが、火曜日にもあった。
B男は、マイペースで何かになり切って遊ぶ。
A男を遊び相手だと思ってちょっかいを出す。
それが、A男の琴線に触れたようで、暴れて追いかけ始めた。
私は、A男の両腕を摑まえて離さなかった。
私の経験上、そういう時は、捕まえて、
抵抗しても落ち着くまで放さないのが効果的だと思っている。
A男は、すぐに落ち着いたので手を離すと、突っ伏して泣き始めた。
そこに、C男とD男が寄ってきて、A男が作ったものを置いてなだめている。
何ともいい光景がそこにはあった。
B男は、素直ないい子で、いつも自分の世界の中で遊んでいる。
ただ、剣士になりきったりして、
短いながらも他のおもちゃの枠のようなものを持って振り回すので、
よく見ておかないと、危ないかもしれない。
その子は、ある遊びに飽きたら、
それをそのままにして、次のおもちゃを出している。
「まずは、これを片付けてからにしようよ」と声をかけると、
「ごめんなさい」と言ってすぐに片付ける。
そんな子だ。
同じ支援学級のE男は、違うタイプで静かに遊ぶ。
B男とは、別々に。
その子が水曜日、お母さんのお迎えがあった時に、
片づけを一緒にやっていると、「小学校たのしい」という。
「けやきも?」と聞くと、「うん」という。
なかなか、かわいい。
お迎えのお母さんにも、それを伝えておいた。
水曜日は、5年生の支援学級のF男がやってきた。
B男にちょっかいを出すので、まことにめんどくさいが、
よく見ていると、その子のことを気にかけて面倒をみようとしている様子。
ただ、かかわり方がずれているので、かえって面倒が多くなったりする。
C男は、写し絵が好きで、「ぼくはハギーワギーが大好き」と言って、
書いたものを見せていた。
他の子も、書いたらみんなの先生に「これ見て」と言って見せに来る。
そのあと、C男は立体パズルにはまり、組んだ後、
わざわざ私のところに来て、ビー玉を転がして見せた。
うまくいかなかったが、調整して成功。
「もっと高くしたら、ビー玉の勢いがついて、最後のゴールまで行くよ」
というと、かなり高いものを作って、また見せに来た。
G子は、3年生の子とよく遊んだりする。
その子が、鉛筆削りを借りに来て削っているときに、
唐突に「私、うるさい音がダメなんです」という。
「だから、映画館には行けない」、そういう。
この教室もかなりやかましいけど、見ている限り、それは大丈夫そう。
それにしても、自分の言いたいことが筋立てて言えるなと感心する。
以上、F男以外は1年生。
教室に入ってきたときとか、鉛筆を削りに来たときとか、
不意に来たりして、脈略のない話をする子がほかの学年にもいる。
中には、家庭のことで気になることもある。
親からすれば、こんなことも話しているの、といったこともある。
当然口外はしない。
そのとき、こちらのすることは、うなずきながら聞いて、
「へぇ、そうなんだ」くらいしか言わないが、たぶんそれでいいのだろう。
話てくれたことは、忘れない。
2年生のH子は、1年生のとき、
お迎えのお母さんに促されても「さよなら」が言えなかった。
最近は、一人で帰るようになり、こちらから「さよなら」と言えば、
「さよなら」と言って出ていくようになってた。
今日も、A男、B男との間で、ちょっとしたいざこざがあったが事なきを得た。
B男が悪気なく、A男についちょっかいを出してしまう。
一緒に遊びたいのだと思う。
そのあと、ごたごたは続かず、そこにE男が加わって、3人で、
それぞれブロックで作った剣のようなものを持って、
剣士になり切って仲よく遊んだ。
A男がちょっとしたことで切れなければ、気が合って仲よく遊べるのだが、…。
A男も当然、悪気はない。
かっとして、衝動的に動いてしまうのである。
3人とも、剣を振り回したり、振り下ろしたりするようなしぐさをするが、
周りに人がいないところでやっている。
結構わきまえていて、見ていても、
人にけがさせるような形にはならないのである。
A男は、兄のお迎えで帰る時、今日も自主的に片づけを始める。
B男は、いつもお父さんのお迎えで帰っていくが、いつも帰る時に、
ハイタッチほど高くはないが、タッチないしは握手して帰る。
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これは、ノートに書いたことですが、それ以外にも、
気づくことはいっぱいあり、私は、そんな半日をほぼ毎日過ごしています。
私は、子どもたちとの遊びはスタッフの人たちに任せて、全体を見ているので、
もっと気づきノートが書けてもおかしくないなと思います。
昨年までは、ルールを守らない子がいたり、言うことを聞かない子がいたり、
小さなトラブルも多く、そちらに振り回されていた面も否定できませんが、
最近は落ち着いているので、もっと気づきは増えそうな気がします。
そんな中で、反省点もあります。
黙ってみていると、自ら手を洗いに行ったり、水筒を取りに行ったり、
片づけを始めたりするのに、ついつい「余計なお世話」を言ってしまうのです。
「見守り」の神髄は、「待つ」ことだろうと思います。
これを書いて思うことは、「聴く」「待つ」はこのうえなく大事。
その「聴く」「待つ」は、言い換えれば「認める」ということ。
「ほめて育てる」ことが大事とか言われますが、
そういうのは手段にしか過ぎないでしょう。
ほめればいいというものでもないでしょう。
厳しくする、ほめる、どちらがいいというものでもないでしょう。
根本にあるのは「認める」ということ、それに尽きると思います。

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。