【学びの時間・感じる時間】終わりは始まって、始まりは始まりつつある

今日、ニュースで、山際大臣の辞任がトップニュースでした。

「虚構」がガラガラと崩れていく感じです。

 

2020年は、「終わりの始まり」でした。

【恵方参り】なんだかとってもいい感じ! - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

トランプ大統領というある意味信じがたい人がアメリカのトップに上り詰め、

いまだに、常識では考えずらい支持を集めています。

そのころからの金正恩、今年に入ってからのプーチンによるウクライナ侵攻、

ここ数日の、習近平への権力集中、イギリス首相をめぐるドタバタ劇、

これらを見るにつけ、振り子は振り切れた、すなわち、

終りは確実に始まっているということを感じています。

どれもこれも、多様性を排除する動きです。

人権を無視する精神です。

 

人間が人間であるために、こんな状態でいいはずはありません。

そんな状況の中で、世界中の大多数の人たちは、

ありとあらゆる面で苦しんでいるのです。

 

そんな世界情勢の中で、日本の、特に政治の状況は、

お粗末以外の何物でもないという印象を持つわけです。

 

『他者を感じる社会学』(好井裕明著 ちくまプリマー新書)

からの引用です。

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私達に、あることが「できる」とします。

そこで私たちは「できる」ということに価値を置き、

それを前提とした基準を設けます。

その結果、支配的な社会や文化では、基準に従い、

「どれくらいできるか」によって人間が序列づけられ、

「できない」人は最下層に位置付けられ、

その社会から「外されて」いきます。

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たぶん山際大臣は、「できる」人だったんだと思います。

それが、いつからか、まわりから「できる」と錯覚させられて、

本人はそれに気づかないまま、ここまで来たのではないかと思えます。

「できる」と思うからこそ「できる」を阻害することを、

認めることができないのでしょう。

 

こんな批評をしても何の意味もないのですが、

感じたことは書いておきました。

 

そんなこと以上に、危機感を感じるのは、

日々目にするスマホ歩きやスマホにとらわれてしまっている人たちの姿です。

 

同著からの引用です。

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学生からの課題レポートを読んでいて、

はっとさせられるような記述がありました。

「顔」がみえないことも「匿名性」も問題だが、

自分自身がスマホを使っていて、もっとやばいなと思うことがある。

それは、便利なスマホの「さくさくとした」やりとりがもつ「速度」に

慣れていくうちに、スマホの向こうに人間がいること、

自分と同じ人間がいることを忘れてしまうことだ。

 

「人間」を感じないままに、

スマホを通したやりとりに没入している自分の姿に感じてしまう内容でした。

もし私たちがスマホを通してだけでなく、

さまざまな場面や状況で、目の前にいる他者、ネットの向こうにいる他者を、

「人間として感じない」日常ができあがっているとすれば、

それは他者理解にとってゆゆしき事態ではないでしょうか。

 

他者を感じない日常とは、他者を「人間」として認めない日常であり、

もっと言えば、さまざまな「ちがい」がある他者をそれ自体の存在として、

対等に向き合おうとしない日常と言えるでしょう。

そして、それはネット上の匿名の誹謗中傷という行為が象徴するように。

平然と人(=他者)を差別し排除できる日常なのです。

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スマホの向こうに人間を感じないのもしかりですが、

生の自分の目の前や周りに、「人間」を感じていないとしか思えない状況が、

そこここで見受けられます。

 

本当の「孤独」は、悪いことではなく、大事なことでもあります。

しかし、自分の内への閉じこもり、

周りの他者ののことに意識がいかないことを「孤独」と表現するなら、

これは由々しきことであり、今そんな状況になりつつあると感じています。

 

そのような状況に対して、私は何もできませんが、

決して「無力」ではないと思っています。

私には「夢」があります。

その夢は、自分の中に語り続け、

ブログやファイスブックなどで知り合いの人たちに、伝え続けてきました。

 

そして今、その夢の実現に向けて、

具体的な動きが目に見えてきつつあります。

私の「始まり」は始まりりつつあると感じています。

その意味では、私は、少なくとも「微力」であると言えます。

それは、つながり、ご縁のおかげです。

これからのご縁の広がりと深まりを思い浮かべると、とってもワクワクです。

 

写真に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮った写真を適当に貼っています。