5/24の『<Tip& Episode> いくつかの節目の中で』に引用した
「子どもの土地を拡げる」、すなわち、
「子どもの好奇心の幅と多様性、伸びしろを生み出すベースをつくる」
ことの裏付けとなるようなことが、
『ことばと学び』内田伸子著に書かれていた。
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幼児期に、文字を読んだり、書いたりすることが
得意でなかった子どもが、小学校に入って、
幼児期の遅れを一気に取り戻してしまうことが珍しくはなかった。
幼児期に文字習得が遅い子どもは、
文字の存在に気づいたり、多少興味を持ったとしても、
もっと他に興味が引かれることがあって、
他の活動に熱中してしまう。
その結果、文字をめぐる活動が少なくなり、
たまたま読み書きが他児より遅れたに過ぎないのかもしれない。
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これは、著者の調査で判明した事実に基づく考察であるが、
調査対象は32名と限られていた。
その後、他の人の1259名に及ぶ子どもの3年間の追跡調査でも、
ほぼ同じ結果が出ていて、かなり信ぴょう性は高そうだ。
そして、さらに興味深いことが、その後に書かれていた。
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発達心理学の野村正吾さんは、幼児期の子どもたちに
「親友」とか、「戦争」などの言葉の定義をさせてみた。
子どもたちの中には、ドリル学習や塾に通っている子どももいて、
手際よく、うまく答えることができた。
ところが、あまりうまく答えられない子どもの中に、
イメージはいろいろと浮かべられているらしいが、
それを表現するための言葉が伴わず、
結果として、よい得点につながらなかった子どもたちがいた。
その後追跡調査していくと、これらの子どもは、小学校高学年で、
覚えて答えるようなタイプの問題ではなく、
自分で工夫し、考える問題に最も力を発揮することができたのである。
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これらのことは、学習の効果を強調しすぎると、
実際には短期的な目標にのみ焦点を合わせることになり、
人間が自律的学び手になっていくといった長期の発達の様相を
見失うとこにもなりかねないことを示唆している。
特に幼い頃は、
字が読める、書けるとか、計算ができるというような見える力、
人から教えられて覚えて使うような力、
― 答えは一つ、回答に至る道筋も一つという、
いわゆる「収束的な思考力」 ― ではなく、
イメージを豊かに描き、自分なりに工夫し、判断して、
問題を自力で解決していけるような見えない力、
― 答えはいりいろあり、回答に至る道筋も多様であるような、
「拡散的な思考力」 ― こそが大事にされなくてはならないと思う。
子どもは一人一人違っていい、一人一人別の個性を持っている。
大人たちが、子ども一人一人を大切に、
それぞれの個性を大事にしてほしいと願っている。
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私自身もそうだが、小さいころできなくても、
ある時期になるとできるようになってくるということを
誰しもが経験して育ってきているはず。
幼いとき字が書けなくても、
大人になれば、好きか嫌いかはあるけれど、
ほぼ全員が新聞を読むことができるようになる。
最近、漢字が書けないという大人が多いが、
それはまた別の問題なのだ。
身体的にも、幼い時に大柄だった子が、
中高生になっても大きいとは限らない。
2年弱の学童保育の経験でも、子どものいろんな面の成長を感じている。
そのなかには学習面の成長もある。
1年生のときに、
これは何とかしなければと思ったくらい計算のできない子がいた。
それが2年生3年生となっていくにつれ、
普通にできるようになっていったのだ。
だから、できなくても心配することはないなというのが、実感としてある。
だから、幼い時に大事なのは、焦らない、先を急がないということ。
やらされ感、詰め込みによる学習意欲の喪失などを引き起こさないこと。
機が熟したときに、自主的に学習しようとする意欲がわいてくるように、
。